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歪んだ思い込みからの不安解消
私は、よくわからない向上心があるが、どこまで行っても満足できず、あがる先があると言う、たえざる自己否定に陥らざるを得ないというところがあった。
これは未熟で、ほどよく諦め、ほどよい向上心のいいバランスが取れてることが成熟だという。
その点で、昨日も言ったが、現状、私のあり方で言えばいい点数なんじゃないか?
マズローの欲求五段階説というのがある。
第一、生理的欲求はまぁ満たされている。 第二、安全欲求、大丈夫か。 次に所属の欲求がある。
私はどこに所属してるんだろう? このブログやニコ生配信は所属というのだろうか?
じゃあ、どこか所属すればいいのね。気づかなかった。今度探してみよう。
第四、承認欲求の欲求 第五、自己実現の欲求
第四の承認欲求は、他人からと自分でのとある。わたしは自分からの承認欲求
他人から満たされるより、自分の人間としての尊厳を満たすことが大事。
孤独な私でも、自己へのプライド、自尊心、自己価値観、負けず嫌いなところが強い。
他人からの承認はいいとして、以上のところがあるのでわたしは孤独に強く、真の大人であるといわれるんじゃないか。
まぁ誰に対してか知らないが、愛嬌は持っていたいが。
孤独に強い成熟した人とは、「人間というのはわかり合えないものだ」という心の構えで生きている人のことらしい。
人生は不条理に満ちていて、すべてが人にわかってもらえなくてもよく、むしろ自分自身に正直に生きることが大事なんだとある。
孤独である自分の肯定を言いたい私は、日本人は承認欲求に振り回されてる生きている人が多いと言いたい。
それは普及したSNSの影響、他者からいいねをたくさんもらえるシステムに起因するというところがあると思う。
わたしのSNS、私の立場、リスナー来て、金稼ぐ必要はないので、リスナーにわかってもらう配信しなくていい。
リスナーいなくてもそれでいいという心構えで配信する。
自分には価値があると言う自己価値観さえあれば良い。
他者の期待に応えようとする人はまだ子供である。
知識、見解など配信でしゃべれるので、向上できるし。
このブログや、ニコ生の配信にて私の姿勢、私の立場から私は自分自身に正直に生きていると言える。
失愛恐怖というのがある。
他者からの承認欲求に縛られている状態。
私も弱い。
そんな言っても、どこかで「本当はお互いわかり合いたい」という気持ちも持っている。
でも、わかってもらえなくても、開き直るしかない。
だから一般にある失愛恐怖はわたしはそんなに怖くなってるのだが。
だが、私もある理由で失愛恐怖をすごく持っていた。
それは、私は歪んだビリーフ、受け取り方や心情、思い込みを持っていたからだ。
自分の言動で人から嫌われたり、見捨てられたら、この世で生きていけなくなるのでは?という考え。
具体的には嫌われたら年金もらえなくなるんじゃないかという不安。
しかしこれはイメージラショナルビリーフ(歪んだ思い込み)とわかった。
「人に好かれるに越したことはないが、嫌われたからと言って自分の価値がなくなるわけではない。」という事実を親の教育で持てなかった。
「嫌われる勇気」という本があるが、あれがあんなに売れたのはそういう事実を認識できるからだということです。
私も、嫌われてもいいということが、この本がこんなに売れてるから、現代、一般化しているのは明らかだと思いました。