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在庫切れの本を注文した事で、契約ライターになった話(前半)

私は文章を書く勉強をしたこともなければライターの経験もなかった。なのに、予期せぬ展開(・・わらしべ長者的展開と自分では呼んでいる)が起きて、コラムを書き、依頼されたお店を取材する契約ライターになったことがある。


それはシンガポールでおきた。

夫の仕事に伴って家族4人、シンガポールに移住したときのこと。

住み始めて一か月、英語が苦手、学生時代の通信簿は赤点という状態でシンガポールに来てしまった私は、英会話スクールに通い出した。

そこには、英語の苦手な駐在員妻が何人も来ていた。



「はじめまして。この席空いてますか?」


「どうぞ。空いてますよ」


みなさん顔見知りみたい。たぶん、このクラスでは私が新人なのだろう。

私は、声をかけて、空いてる席についた。



パラパラ・・・・

隣の女性が何やら『グルメガイド』風なものをめくっている。



シンガポールに住みだしたものの、引っ越し荷物をほどき、こどもたちの小学校と中学校の手続きをし、スーパーの場所を覚え、電車やバスの乗り方を覚えたくらいの状態だった私は、その女性の見ているガイドブックにすごく興味を惹かれた。


「すみません、その本、シンガポールのお店ガイドですか?」

話しかける。


「あ、はい。これ? ここの新聞社がつくったガイドブック。あなた日本から来たばかりね?この国は多民族国家、いろんな人が集まってるから飲食店も充実してるわよ。それに安いの。遊ぶ場所があまりないから、食べ歩きを楽しむ人がすごく多いのよ。」

そういって、その本を私に渡して見せてくれた。



パラパラとめくってみる。

インド料理、中華料理、マレーシア料理、イタリア料理、フランス料理、ドイツ料理、ギリシャ料理、日本食、そして最も興味のあったホーカー(シンガポール国内にあちこちある屋台村)のことも書かれていた。


「わあ!おもしろい!まだこちらに来て間もないので、お店もぜんぜん知らなくて。」


当時、スマホもなく、ネット上のグルメガイドもなかった時代。

本が情報源だった。


さっそく、その本の出版社と電話番号、メルアドを書き写した。英会話のノートに。

自宅に帰って、その新聞社にさっそく電話をしようと思った。その本がどこで売られているのか聞くために。


でも・・・・電話口で、早口で、なにか言われても英語を聞き取れる自信がなった。なので、メールすることにした。


でも自分のアドレスがなかったので、夫のメルアドを借りた。

シンガポールにくるために購入したPCはまだ使い方がわからず、夫にメールサイトまで開いてもらい、そこに要件を書きこめばいい状態にまでしてもらった。


(在星日本人向けの新聞社だから、日本語でいいよね)


*******************

突然のメール失礼いたします。

そちらで出版している「シンガポール・グルメガイド」はどちらで購入できますでしょうか?

*******************


こんな感じだったと思う。

そして送信。



翌日、返事が来た。


*******************

お問合せありがとうございます。

現在、そのガイドブックは在庫がもうなく、本屋での扱いは終了しております。ただ、数冊、社内に残っており、これで良ければお渡しできます。

とても個人的な質問で強縮なのですが、

あなたは〇〇社の方でしょうか?メールのドメインが〇〇社のものでいらしたので・・・。

実は、明日、貴社に伺う用事があります。もしよろしければ、私がお持ちします。直接、お渡しできます。

******************


そう書かれていた。

(そうだった!これは夫のメルアド。そっか、仕事で使用しているものを貸してくれたのか・・・)その時まで、私は夫のアドレスに、会社名が入っていることに気づいていなかった。



あわてて夫に話す。

そのガイドブックが欲しいこと、そしてその出版元である新聞社の人が、明日あなたの会社にくること、、、、明日その人と待ち合わせして、その本を受け取ってもらえないか?・・・と。


「いいよ」


二つ返事で、OKしてくれた。


そして出版元である新聞社に返信する。


これは私のアドレスではなく夫のものであること、本は夫が受け取ってくれることになったので、夫と待ち合わせをお願いしたいこと・・・それらを書いて送信した。

その翌日、一日のおわりが待ち遠しかった。

夫が持ち帰る本がはやく見たかった。

夫が帰宅した!


「おかえりなさいーー」

「本、受け取れた?」


「ほら、これ」

本を渡されれる。

「ありがとう!!!」


嬉しくて、すぐさまページをめくっていると、

背広を脱ぎながら夫が言う。


おまえ、文章かいてたよね? その新聞社でライター探してるんだって。いやね、本を持ってきてくれた人が、『ライターさん、書ける人、探してるんですよねえ・・・』というからさ、『うちの奥さん、日本にいる時、コラムかいたり、文章書いてましたよ(※)』と話したんだよ。そしたら、ぜひ、お話したいので、電話くれって言ってたよ」


と名刺を渡された。


え・・・

えーーーーーっ?


思わずのけぞる。


(※)たしかに出発前、私は文章を書いていた。

ここにもわらしべ長者的な展開があって、healing cafeというコラムの連載を書くことになり、

食育活動の延長で、依頼をうけ視察に行き、そこの報告を文章にまとめる・・それが冊子に引用される・・・などがあった。


でも、コラムも生協活動の一環で、組合員向けのもの。「書いてる」という表現をしていいのだろうか・・・素人の趣味、そんな感じなのに・・・・


そう思いつつも、知らない世界のことをのぞいてみたかった。

書く自信はないけど、話を聞くだけ聞いてみよう、と、いつもの好奇心で電話をした。(名刺に書かれている名前が日本人だったので、躊躇なく電話できた)



そして数日後、私はその新聞社にいた。

旅行者や駐在員妻にはご縁がなさそうな古い雑居ビル。人は行きかっているものの日本人らしき人はいない。ここが外国であること、シンガポールであることを改めて感じた。 すこし不安になったが名刺を頼りにそのオフィスを探す。 5階・・・。エレベーターがまた古そうで(乗って大丈夫かな・・・)、一瞬そう思った。


がたがた揺れるエレベーターにのって上へ。


受付で名刺の方を呼んでもらう。



「よく来たね!僕はこのまま取材があるので外出しちゃうけど、編集長が待ってるから、彼女と話してみて」


大きな日本語でそう言ったあと、その人は、外出してしまった。


(行っちゃった・・・。編集長さんは日本人なのだろうか?言葉通じるかな・・・)

不安だけど、ここまで来たらその編集長さんに会うしかない。どの人がそうなのか?、どこにいらっしゃるのか聞こうと思っても、そこにいる社員さんは皆デスクで仕事中。誰も顔をあげていないので、声をかけにくい。


呆然としていると、女性が現れた。



「こちらへどうぞ」


会議室に通される。


「私が編集長の〇〇です」


まったくその新聞のことすらも知らなかった私なので、いろいろ教えてもらう。

その新聞はシンガポールに住んでいる日本人のための唯一の日本語新聞で、タブロイド判、毎週発行。 加えて月に2回、日曜版みたいなカラー4面がそこにプラスされる。


そのカラー4面の編集長さんでいらした。


カラー4面には娯楽情報がいっぱいだった。その季節のイベント情報、ミュージアムや映画館の情報に、飲食店やエステ・マッサージ店の情報などなど。飲食店やエステ・マッサージ店の紹介は記者さん体験記事が主になっていた。

探しているのは、そのカラー4面内でのコラム連載を書き、そして依頼先に行って、体験や試食をして、その店の紹介をする、それらのできる人を探していた。



おもしろそうだと思った。

コラムは書いてみたいと思った。住みだしてまだ一か月のシンガポールは、多民族国家だけあって、食文化がカオスで、交じり合っていて、不思議でおもしろくて仕方なかった。

(そのルーツはどこから来たの?)(なぜ、そうなっちゃったの?) 同じアジアの日本にも、同じものがあるのに使われ方が全く異なっていて、毎日驚きの連続だったから。 書いてみたいテーマがいっぱい浮かんできた。



説明してくれたあと、その編集長は


「英語はできる?」



そう聞いた。

後半に続く。

このあと私はコラムを書くことになる。6か月の契約だったのに更新、また更新と、結局2年間そのコラムが続くことになった。

そして「英語はできません」とはっきり伝えたのに、その後、訪問体験とインタビューをしながら、いろいろなお店の紹介記事を書くことになっていく・・・

「英語ができない」と答えたのに、なぜ採用されたのか?今も不思議なのだか、その展開については(後半へ) (^^)/











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