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中1の娘と中3の息子が親と離れて住むことを決めた(前半)

「私はすぐにでも帰りたい」「父さん母さんいなくても?」「うん」

「僕はここに残りたい」「父さん母さんが日本に帰っても?」「うん」



その時(2007年)、私たち家族は、夫の仕事でシンガポールに住んでいた。

5年間の駐在予定で、日本にある自宅マンションを人に貸し、

すべての家具やすべての荷物をトランクルームに預け、

日本には住民票もなく、

日本人だけど、日本に自分の家はない状態だった。



駐在して3年目、2007年の初め、

「帰国命令が出た。この夏に帰るぞ」

突然、夫が言った。

この時、娘は中1・息子は中3、私は真っ先に子どもの学校のことを思った。

(夏に日本に帰る? 娘は公立の中学に編入できるだろうけど、息子は高校生になる時だ。どうしよう???)




でも、次の瞬間、


(あ、、、学校のことでなく、まず、本人たち、子どもたち自身の希望を聞いてみよう)


そう思ったのだ。

子ども自身の気持ちを聞こうと思った。

それには理由があった。


そこから遡ること3年前、転勤や駐在とは無縁の頃。

2004年3月3日。


当時小学4年だった娘と夕食の買い物に行った際、お雛様のメレンゲ菓子が乗ったケーキを見つけ、2人で「かわいい!」「食べたい!」「買っちゃおうか!」

とニコニコしながらお雛ケーキを買って帰った。


「ただいまー」という夫の声に、

娘と私とで、「すごいことがあるんだよ。なんでしょーか?」

と ”かわいいお雛ケーキが今、うちの冷蔵庫にある!”って ことを、もったいぶって話し始める。

帰宅した小学6年の息子はゲーム中。



「こっちにもすごい話があるんだ」

と夫。


「なになに?」

お雛ケーキの購入が、すごい話の部類に入る娘と私は

身を乗り出して、ワクワクしながら、次の言葉を待つ。





「シンガポール勤務になった」



(;・∀・)


「・・・・・え?・・・・」



沈黙が続く。

動きが止まる。



娘が言った。


「どこ、それ?外国?おもしろそ~~」




私は言葉が出なかった。

私はその頃、食育活動をしていて、メーカーさんとの商品開発やカタログづくり、電話相談員などの仕事に充実感を覚えている時だった。しかもNPO立ち上げの話が本格化してる時だった。


(一緒に行くか、行かないか?・・・)

(単身で海外勤務してもらうか、家族全員で行くか?・・・)


まず、私自身はどうしたいのだろう?

こどもたちはどうしたらいいんだろう?

息子は中学校の制服が届いたばかり。入学式を済ませて、それからシンガポールに行くのか?


頭の中がぐるぐるまわった。



(子どもたちの気持ちを聞こう!)と思った理由までたどりつく前に、結構長くなってしまいました。一旦、小休止します♨️☺️

続きは(後半)で!






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