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交差点を走り抜ける子供から学ぶ「不安」の現実化

・・・なーんて硬いタイトルをつけてみましたが、

みなさんも、見たことありませんか?

信号が黄色に点滅する交差点で、数人の子どもが走り抜ける様子を。


もう渡るのをやめて、交差点でまつ大人もいる中、

後方から、走ってくる数人の子どもたち。


先頭の子どもは、まったく躊躇せずに、交差点に飛び込んでいく。


「待って~。 」

ちょっと遅れ気味の子どもが交差点に差し掛かる。


「えっ、えっ、渡っちゃうの? 黄色だよっ」

その子はみんなに問いかけているが返事はなく、ほとんどの子は、迷いなく交差点に入る。


黄色信号を気にしていた子も、一瞬遅れて交差点に入っていく。


ドテーーン!!! 痛い!


最後に交差点に入った子どもが転ぶ。


もう走り抜けて、向こう側に到着した子どもたちが振り返る。。。。



こんな光景。


私はこれをよく目撃した。


転ばなくとも、最後に渡った子どもの靴が交差点内で脱げてしまうこともあった。


(なぜ、最後の子が転ぶんだろう? 先頭の子が転んだのを見たことがない。いつも最後の子が転ぶ・・)


この現象を長年、不思議に思っていた。

それが解明されるような出来事があった。

娘が高校生のある日。

その日は台風の影響で朝から雨。風も強かった。


朝、高校に向かう娘と一緒に私も家を出た。都内に出る用事があり、私も娘と同じ電車に乗る。


2つめの駅で娘は降り、私は終点まで乗った。

用事を済ませて家に帰り、その日の夕方のこと。

下校した娘が、靴を脱ぎ終わらないうちに話し出す。


「母さん、母さん!!」

「今日、電車、全面ストップしてたんだって!!!」


「え??どういうこと?一緒に乗ったよね?」


わけがわからず、聞き返す。


「学校についたら先生たちが

『お、おまえ、どうやって学校きたの?』

と口々に言うんだよ。

『え? 電車で』と答えたら、

『電車は朝から動いてないよ。全面ストップだよ』

と言うんだよ。今日の午前中、電車は動いてなかったんだって・・・。でも、私たち乗ったよねえ・・・」

と。



その時、ピンときた。


娘と私は、台風の不安がまったくなかった。

電車も普通に動いていると信じていて、疑いもしなかった。

なので、ごく普通に、駅に向かい、ホームに降り、そのホームにいた電車に乗った。それだけだった。


娘がネットで調べたら確かに【〇〇線、台風のため午前中は全面運休された】ととニュースになっていた。


私たちの乗った電車は、たまたま運行再開にむけて試験的に動かしたものだったのだろう。それに何の違和感もなく乗ったのだと思った。

こういうことが、とても多い。

不安なく、そこにまったく意識がむいていないと、そのトラブルに出会わない。



周波数の違いなのだと思った。


(車の事故に会うかもしれない)と心配しすぎると、イメージした事故の周波数と自分の周波数が一致してしまい、その現象に会いやすくなる。


(騙されるかもしれない)と心配しすぎると、その”騙される周波数”に自分がなってしまい、騙すという周波数と一致して、騙す人と同じ舞台で生活することになる。


冒頭に書いた子供たちの話。 交差点で(渡って大丈夫かな?)と心配し躊躇する子どもが転んでしまうという現象、あれも、まったく心配していない子は転ばない。そんな気がした。

そして、人の体は躊躇する意識があると、動きの方向がバラバラになる。

「走り抜けようとするエネルギー」と「止まろうとするエネルギー」、逆のエネルギーがとっさに現れるので、体内での指令が混乱する気がする。

「全力で前に進め」なのか? 「全力で止まれ」なのか? 脳内の指令も、筋肉の指令も混乱する。

結果、足がもつれたり、ギクシャクした動きになってしまうのではないだろうか?


(走る時だけでなく、日常のすべてにおいて、この自分の意志の方向がバラバラだと、その人のもつエネルギーが分散してしまい、叶いにくく、進みにくい。一方向に束ねたら、グンと進むのに、てんでばらばらだと本人も疲れやすくなる。・・と感じています。)

交差点を走り抜ける子供らから見えてきた、「不安」のこと、

独自の見解ではあるけど、ありえそうでしょ~ (#^.^#)?





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