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2024.3.24 Chor Polaris12thコンサート

混声合唱団Chor Polaris(以下、ポラリス)は、島根県内合唱部2010年卒の世代によるOB&OG合唱団から始まったと記憶している。
当時は常設合唱団ではなく、年に一度、春休みに大学生が集まって演奏会をするイベント型合唱団に近かった。
(本番前1週間はほぼ毎日練習が設定されているというなかなかタフな日程だったことを記憶している。)

僕が精力的に活動していたのは第2~5回演奏会(2012-2016)だった。2013-2016は運営メンバーとして、指揮者もさせてもらった。
それ以降のポラリスの活動の変遷は、正直把握していない。
いつの間にか連盟のイベントに参加するようになり、コンクールにも出るようになっていた。
ライフステージ、合唱団の活動とともに、変容していったことは想像に難くない。

学生から社会人へのライフステージの変化、コロナ禍も重なり人集めに難渋した時期もあったと聞いている。

2022年春、たまたま帰省したタイミングでポラリスが練習していたため、顔を出してみた。
信長貴富先生の「夜明けから日暮れまで」に取り組んでいた。
前に立って指揮をしていたのは当時大学1年生のF井くんだった。
苦しい状況でもなお、前を向いて活動をし続けている地元合唱団を目の当たりにして、心を揺さぶられた。
自分も何か力になりたい、と心から思った。

転職して生活が落ち着いてきていたタイミングだったということもあり、僕は遠隔団員として、ポラリスに復帰した。



ポラリスはその成り立ちとスタンスから、外部講師として指揮者を招聘せず、団内指揮者でここまで活動してきた。
正直、それゆえの閉塞感や停滞感を感じることは少なくなかった。
島根県は陸の孤島と揶揄されるくらいには交通の便が悪く、県外に出にくい、県外から来にくいという地理的ディスアドバンテージがある。
合唱団の数も多くはなく、活動の指針、練習時の声掛けなど、自身の中高までの部活経験+αに頼らざるを得ないというのが正直なところだ。

島根県の方針、というところまで主語を大きくしていいのかはわからないのだけれど、少なくとも自分は恩師から、
「指揮者は最初の合図だけ出して、あとは袖に消えることが理想。それぞれが自発的に音楽をすべき」という話を聞かされ続けて育った。
グラントワカンタートで、恩師が振っていた大社高校の演奏はもちろん、松江市内の高校生による合同合唱でも同じようなポリシーを感じさせる演奏だった。

そういった環境にあって、正直指揮を見ずに高校時代を過ごした。
だから、進学とともに広島に移住してからよく聞くようになった「指揮が悪いから歌いにくい」といった旨の発言が理解できなかった。
歌えないのは自発的に歌えるまで準備をしていない自分のせいなのに、指揮者に転嫁するなんてダサいな、とまで思っていた。
(態度にも出していたので、かなり不愉快な後輩だっただろう。)

指揮者はどちらかというと練習を仕切る人で、本番は合図だけ出せばよいと思っていた。
大学指揮者時代は振れなくてもいいから練習中に気の利いたことが言えれば指揮者としてはセーフだというスタンスだった。
しかし、一個上の指揮の先輩が振っているときのほうが明らかに合唱団の音が良い、ということを目の当たりにし、僕は考えを改めることになった。
僕の指揮は音楽を停滞させ、合唱団を混乱させ、アンサンブルの邪魔をしていた。自分が振る側に立ってはじめて、歌いにくい指揮の存在を認識した。

広島は中国地方の中では一般合唱団の活動が比較的盛んな方であり、精力的に活動する団体・指揮者も少なくない。
広島で「アンサンブルを邪魔しないこと」だけにとどまらない、空気感・間合いのある演奏、それを演出する指揮に触れる機会が増え、自分の中の「指揮」の価値が上がった。

同時に、指揮は何のために在るのか、考える機会が増えた。
指揮者がいなければ作ることのできない間合い、空気感、或いは指揮者がいなければタイミングを合わすことができないほど編成が大きい場合において、指揮者が必要であり、
裏を返せば、そういった間合いや空気感が醸成されないのであれば、タイミングが合わないのであれば、指揮者はその役割を果たせていない、ともいえる。

なので最近はもっぱら、
指揮者にはアンサンブルを阻害しない棒と、指揮者なしには成しえない要素を求め、
合唱団にはアンサンブルを求めることを活動指針として立ち回っている(つもりである)



ルーツが同じということもあってか、ポラリスにはかつての自分と同じように、指揮者との音楽を信じ切れていない空気があったように思う。
(指揮者の先輩方が信用ならなかったという話ではない、という予防線を張っておく)
「指揮者がいなくても、演奏が成立すべきだ」
「指揮者に何かを求める前に前に自分たちの発声やピッチ感覚を養うべきだ」
という美学、あるいは運営・連盟の仕事等に奔走しながら指揮者をしてくれる先輩への気遣いもあったのかもしれない。

人の入れ替わりが激しく、人数も決して多くはない、そんな環境下でもなお、悩みながら、もがきながら、ポラリスは歩みを止めなかった。
常設の合唱団になり、時に県内外の指揮者から教えを乞いながら、


「君は荒れ果てた土地にでも種子(たね)を撒くことができるか?」
「君流れる水の中にでも種子(たね)をまくことができるか?」


2022年以降、同じメンバーで歌い続け、多くの本番を共にしたポラリスは、
2年間の活動を経て、指揮者と合唱団のコール&レスポンスを感じる場面が増えた。
今回の演奏会では、観客が息を飲むような静寂、残響を楽しむ余裕、指揮者との息の合ったセッションの萌芽があった。
指揮者の先輩方の今まで積み重ねてきた努力、そしてその指揮とともに成長する合唱団の姿に、感銘を受けた。

歩みは決して早くはないかもしれないけれど、確実に前に進んでいると確信した。
そんなコミュニティが、地元島根県にあることをとても幸せに思う。

若者が多くなく、流出しがちである土地柄ゆえに、まだまだ苦しい時期は続くだろうけれど

「恋人よ 種子はわが愛」

僕も微力ながら、ともに種子を撒いていこうと思う

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