ぽっきりコンサート15によせて
3/10に合唱団ぽっきりの演奏会があった。
5,9~14(11はジョイント)に参加してきたので、通算7度めの単独コンサート。
ここ数回は運営側に回り、自称中堅団員(その実、激しい団員の入れ替わりにより押し出されるような格好でベテラン勢になりつつある)としてせわしなく動き回っている。
僕はこの第15回演奏会、もとい合唱団ぽっきり2023を20代の集大成に位置づけ、1年間活動してきた。
第9回演奏会のあった2016年度、僕は大学に留まり、合唱団ぽっきり西条組として大学合唱コンペティションに参加した。
当時のメンバーが多く広島に残り、10年来の付き合いとなっているというコミュニティの継続性が、僕がなかなかぽっきりから離れられない一因となっている。
西条ぽっきりの自治権が認められ、コンサート内西条単独ステージが始まったのが第6回演奏会だった(と記憶している。)
それまでは合同ぽっきりに従属する形で活動しており、合同練習のための補助的な立ち位置であった。
2013年度から始まった西条での単独の演奏活動が、ぽっきりの音楽をより豊かにしていると、今回の西条単独演奏を聴き、そして当時の西条メンバーとともに歌う市内ステージで痛感した。
コロナ禍で新歓に苦労した時期もあり、昨年度末でボリュームゾーンの学年が卒業。
今年度頭の時点では正直無くなってしまうだろうな、と思っていたけれど、現西条代表が精力的に仲間集めに奔走し、この演奏会では20人弱でのオンステとなった。
舞台袖から見る、堂々とした西条ぽっきりの歌いっぷりは誇らしくもあり、当時の自分たちを思い出して照れくさくもなる、実直で、澄んだサウンドだった。
僕は西条ぽっきり卒業メンバーかつ、その後の継続メンバーとして、そのまま続けたらいいことあるかもよということを演奏で示したかった。
市内ぽっきりは、僕が合流した2018年時点では毎週末練習後に誰かの家でスマブラ、マリオカート、ボードゲームをして、翌日はテニス、遠征のたびに後泊して皆で遊び散らかすというコミュニティになっていた。
演奏は正直言って下手だった(笑)。けれど、それ目当てに人が集まるようになっていた。毎週一定の人数が集まる地盤ができていた。
その中心にいたメンバーが、2019年頭に愛知に転勤してしまってからは自分がそうなろうと奮起した。
市内ぽっきりは居心地がよかった。
週末に、仕事外で友達に毎週会える喜びを噛みしめて、日々の励みにしていた。
今年度は市内ぽっきりで職権乱用し益田のグラントワカンタートに参加。久々に遠征して、ボウリングして、飲んで、歌って、当時のような雰囲気を感じることができた。
昨年度~今年度入団メンバーも参加してくれて、少子高齢化が進みつつある市内のここ数年の悪い流れを断ち切れる予感がした。
演奏面でも職権乱用してかなり干渉させてもらい、演奏の再現性を高めてエネルギッシュかつライブ感溢れるわれらがコンダクターの(文字通りの)無茶振りに応えられる下地を作るべく、前で仕切る場面が増えた。
今回の市内単独演奏ではこの一年間の人間関係、技術的な積み重ねを感じることのできる演奏ができたように思う。とても満足している。
合同ステージは三善晃先生の「地球へのバラード」と信長貴富先生の「詩想の森」を演奏。
「地球へのバラード」は後列からテノールの後輩たちが元気よく思い切り歌っていた(ちくちく言葉)ので、かえって冷静になることができた。
自分も後列から後先考えないフレージングで吠え、先輩たちに苦笑されていたであろうことを思い、愛おしさを感じつつ、落ち着いた大人のテノールへの道は遠く険しいことを再認識した。
西条ぽっきり時代から同じパートで歌う相棒的な後輩、を尊敬する愛媛県在住の某後輩、を在学中に崇拝していた現西条代表、みたいな数珠繋ぎ的関係性が、弊パートにはあるらしい。本番でそういう存在と歌えるとなれば、張り切っちゃうよね。仕方ないか。
この曲集で一番難しく、一番美しい曲は「夕暮れ」であると思う。夕暮れから、夜にかけてのグラデーションを描く空のように、じわりじわりと転調していくこの曲を、次の演奏機会ではもっと緻密に作れたらと思う。
まあ、またいつかやるでしょ、きっと。
「詩想の森」は弦楽四重奏とピアノと共演する大曲。この曲についてまだまだ咀嚼しきれていないというか、言語化が追いついていないので、またいつかYouTubeに音源が上がったタイミングで、、、。
------
これにて、合唱団ぽっきりの2023年度の活動は終了しました。来週から心機一転、2024年度の活動が始まります。
皆にとってぽっきりが、良い余暇のアクティビティであり、自分たちと観客の人生を豊かにする音楽活動の場であり続けますように。