第13話 『場違い最前列ナターレ』
① ボローニャの食卓事情
僕が滞在しているボローニャを含む北イタリアのエミリア=ロマーニャ州は世界的に有名なパルミジャーノ・レッジャーノを代表とするチーズ類、パルマ産プロシュート(めちゃうまい!)やボロニアソーセージなど生ハムやサラミを中心とした食肉品の生産が盛んで手打ち生パスタ発祥の地としても広く知られています。
グリルした魚介や生鮮野菜、完熟トマトやレモン、塩とオリーブオイルなどを中心にシンプルかつ豪快に仕上げ、素材そのものの美味しさを楽しむ、いかにも地中海的な南イタリア料理に対し、北イタリア料理は地理的にフランスに近い影響もあってかクリームやチーズやバターなどの乳製品、肉や野菜からとったブロードなどを駆使した奥深く複雑な味付けが特徴で、要するに南よりも全体的に凝った料理が多いように感じられます。
特にここボローニャは食にうるさいイタリア人の間でも『美食の都』として古くから称えられてきたグルメ通の街であり、料理人のはしくれである僕としては日本にいるときから料理に対する期待で夢いっぱいでした。
ただ、実際に住み始めてみて唯一、個人的に残念だったのはとにかく魚介料理に関してはショボイことです。
語学校の先生によると、そもそも地元の人が魚料理をあまり好まないらしく、肉や野菜やチーズの店は数も多く常に賑わっているものの、魚屋は数自体が少ない上、たまに見つけてもお客がほとんどいなかったりで活気がありません。
もともと買う人が少ない上、ボローニャは内陸なので少なからず輸送料も嵩みます。売価は必然的に高めとなり、お店側もギリギリまで廃棄せずに売り切ろうとするので品質の悪い商品も多くなる…もう完全な負のスパイラルです。
鮮度の落ちた魚を地元の上質な生ハムやサルシッチャ(生ソーセージ)よりも高いお金を払って買おうと考える人が少なくなってしまうのは当然のことなのかもしれません。
今日も街はずれで珍しくそこそこ立派な魚介専門店を見つけたものの、どれも日本の市場の2~3倍の高値で極貧生活の我々にはとても手が出せず…。
せっかく日本から持参してきた醤油があるので久々に刺身を食べたいと考えていたので魚屋の兄ちゃんに『もう少し安めで新鮮な魚ってない?』と尋ねてみたところ、彼は肩をすくめて『安くて新鮮な魚?それなら海へ行ってきな!』ですと。
そりゃあ、ごもっともでー。(棒読み風)
もしかしたら僕の質問が少し嫌味っぽく聞こえて気分を害されてしまったのか、はたまた単なる自虐的なジョークのつもりだったのかは分かりませんが僕としてはこの返答には苦笑いするほかなく…。
よし! なんだか気まずいので撤収~!
ふんふふ~んと謎の鼻歌を口ずさみながら極めて自然に出入口付近の商品を見るふりをしつつ、にこやか&速やかに魚屋から脱出しました。
気を取り直して今夜の夕食は僕を裏切らないチキンに変更です。
鶏肉は日本の市場に比べると若干安めの価格設定ではあるものの、日本のように丁寧な下処理は施されていないため今回スーパーで購入したモモ肉も骨が付いたままのブツギリ状態です。なので調理前には骨や筋を除去して身を開くという下処理から始めなければなりません。
元の解体自体が雑なので砕けた骨片があちこちに付着していてヒジョーに扱いづらいです。たまになら、こうして手間ヒマかけて調理するのも楽しいもんですが鶏肉を買う度に毎回となると、ちと面倒くさいですね。
最初は塩胡椒でサッと焼き炒めて白ワインとレモンで香り付けするくらいでいいかなと考えてましたが、せっかく醤油があるので砂糖と醤油で照り焼き風の味付けに変更。仕上げにちょっとだけバターを絡ませて完成です。
瞬く間にキッチン全体にバター醤油の芳ばしい香りが充満します。
ガブリエッラやトルコ人の同居人たちは、この未知の芳香をどのように感じるんでしょうかねぇ?この食欲をそそる幸せの芳香は、おそらく全世界共通なのではないでしょうか。
ピアディーナと呼ばれる薄いピザのような無酵母パンの一種でサラダ菜やコーンマヨネーズなどと共にチキンをロールして食卓へ。
要はラップサンドみたいなものですね。
う~ん、これはまさにテリヤキチキンバーガー的な懐かしくも素朴な味わい。こういう日本らしい味付けを久々に口にすると何だかホッと落ち着くような安堵感がありますね。やっぱりチキンは期待を裏切りません。
ところが食事中、同居人のオルハンがしかめっ面で鼻を押さえながらキッチンにやってきたかと思うと真冬にも関わらず、あちこちの窓を全開にして無言でスタスタと去っていきました。
どうやらトルコ人にはバター醤油の幸せの芳香は通用しなかった模様です。しかし何も本人の目の前でそんなあからさまに臭いアピールしなくてもね。
迷惑かけてすみませんなぁ…!でも残念ながら全く反省はしてませんよ。
むしろ、めちゃめちゃ美味しかったので必ずまたリピしますので今後とも覚悟の程よろしくお願い致します。今度はちゃんと窓だけは開けるようにしておきますから許してねん。
② ガラケー永眠と国際電話
今日やっと学校の事務から滞在許可証の申請予約が取れた旨の連絡が入りました。法律上では入国日から8日以内に申請しなければならないと決まっているのに、もはや1ヶ月以上が経過してます。
しかも、予約のとれた申請日は年明けの1月4日とのことで当日に警察署で遅れていることを何も咎められずスムーズに申請できるのかちょっと不安でもあります。
ただ『申請期限とっくに過ぎてるじゃないか!』なんて叱られても仕方がないですよね。だって、こちとら一刻も早く申請しようと何度も何度も電話をかけ続けてきた(かけてたのは語学校の事務員の人ですが)のに、受付側の電話がつながらなかっただけなのですから理屈上、こちらは微塵も悪くないはずです。
でもまぁ、今の僕にはそんな言い訳をできるだけの語学力すらないですし、さらに言えば仮に叱られたところで、どうせ何を言われているのか全く分からないのですから、この際、何も気にせずアホなフリをしておけばどうにかなるでしょう。
僕は決してアホではありませんがアホのふりをするのはプロ級の腕前です。
とにもかくにも学校が年末年始休暇に突入する前に申請予約が取れたことだけは内心かなりホッとしました。
そんな気の緩みが影響したのか帰宅後、自分の部屋で携帯電話をポケットから取り出そうとした際に手を滑らせて硬い石の床上に落としてしまいました。
日本から持参してきたいわゆるガラケーというやつですが、これまで何度落としても平気だったのに今回ばかりは相手が悪かったのか、ついに大破して永眠してしまいました。
カメラ用として持参したもので通話契約などはしてませんが、ブログ写真なども全てコレを使ってきたくらいお気に入りだったので、さすがの僕もショックを隠せません。
今後は不本意ながらもやや不調気味のデジカメくん、もしくはまだ生き残っている妻のガラケー(借りる度に『落としたら弁償やぞ!』と言われて気を遣う…)に頼りながら生きていくしかなさそうです。
それにしてもこのガラケーくん本人も、まさか自らの生涯をイタリアで終えることになろうなどとは思ってもみなかったことでしょう。
今までありがとグラッツェ。そして、さよならアッディーオ!
電話といえば最近、公衆電話から日本にいる両親に向けて初めて国際電話をかけてみました。最初はなかなかシステムが理解できなくて、やたらと手間取って苦労したけど、ようやく完全把握できましたので覚書代わりにここでご紹介しておこうと思います。興味がない方は読み飛ばしてください。
なお、以下はイタリア国内の公衆電話から日本国内の電話番号にかける場合の方法となります。
①まず、街中のタバッキ(たばこ屋さん的な売店)で『カルタ・テレフォーニカ・インテルナツィオナーレ』というカードを購入します。要は国際電話専用のテレフォンカードです。※ちなみに僕が買った時は5ユーロ(※当時のレートで750円くらい)でした。
②カードを購入したら裏面に銀色のシークレット部分があるので、そこをコインなどで削ります。いわゆるスクラッチカードと同じ要領です。
③公衆電話の受話器を取り、カード左上に書いてある4ケタのアクセスダイヤルをプッシュします。※カード本体を電話機に差し込んだり、別のテレフォンカードを使ったりはしません。そのままカードに書いてある番号を押すだけでOKです。
④オートメッセージ(イタリア語)が流れた後、ガイド音声の言語を選択します。『1』を押せばイタリア語、『2』を押せば英語、『3』を押せばフランス語、『4』を押せばスペイン語でした。
どれか1つの言語ナンバーを選んでプッシュします。残念ながら日本語の選択肢はありませんので、イタリア語があまり分からないというのであれば普通は『2』の英語がまだマシかもですね。
⑤選んだ言語で新しいアナウンスが流れた後にスクラッチした箇所に出てきた12ケタの数字を続けてプッシュします。
⑥次のアナウンスを確認後、日本の指定番号である『0081』を押し、そのまま連続で日本の市外局番の頭の『0』を除いた、かけたい相手の電話番号をダイヤルします。例えば『06-1234-5678』にかけたい場合は『0081612345678』となります。
携帯電話にかける場合でも『080-1234-5678』であれば頭の『0』を省いて『0081』に置き換え、『00818012345678』とダイヤルすることで問題ないはずです。
⑦全ての操作が正しければ、これで相手につながります。通話時間は5ユーロのカードで30分くらいでしょうか。事前の予告音などなく突然切れますのでご注意ください。
※なお、この情報は僕がイタリアで暮らしていた2005年当時のものです。今の時代は日本から持参したスマホが世界中どこでも普通に使えたり、国際電話カードや公衆電話なども進化してシステム自体が大きく変化しているかもしれませんので、あしからず。
③ 場違い最前列ナターレ
12月23日の授業を最後に語学校は年末年始の長期休暇へと突入しました。
次回の登校日は年明け9日とのことで約半月の休みになりますが、クリスマスや年越しなど街のイベント事には積極的に参加して、日本とは違ったボローニャ市民ならではの年末年始を肌で感じてやろうと目論んでいます。
もちろん、休暇中もイタリア語の勉強には真剣に打ち込み、しっかりと語学を習得していかないと次の段階の計画が狂ってしまうことになります。
僕の目標はあくまでイタリア国内のレストランで調理の仕事が支障なくこなせるレベルの基礎会話力を身につけることなのです。
帰宅後、妻が折り紙や編紐で作った和風のオブジェに『いつも親切にしてくれてありがとう!』という内容のメッセージカードを添えて、ガブリエッラへのクリスマスプレゼントにするという壮大な計画を実行することになりました。
ガブリエッラは想像以上に感激してくれ『我が家のお守りにするわ!』と言うと早速、玄関ホールの目立つ場所に飾り、お返しに大きなチョコレートをくれました。
オブジェを安定させる重りとして5円玉を使っていたので『これは日本のお金だよ!』と説明すると彼女は『へぇ…日本のコインには穴があいてるのかい?』と不思議そうに目を細めて眺めていました。
そのやりとりを見ていたトルコ人たち(オルハンとブーラ)も5円玉には興味津々で写真を撮ったりしています。どうやら穴があいてる貨幣は世界的に見ても珍しいみたいです。
財布の中にはいくつか5円玉が残っていたので同居人のトルコ人青年2人にも1枚づつあげることにしました。単なる5円玉がこんなに外国人ウケするのなら、もっとたくさん持ってくれば良かったなぁ…なんて思いつつ。
トルコ人たちもすごく喜んで『本当にもらっていいのかい!?これは日本でも値打ちがあるんじゃないの!?』と聞くので『だいたいコレ1枚で1000ユーロ(約15万円)相当くらいかな~?』なんて適当に言い放っておきました。
まさか信じるはずないし、笑うとこでしょ!?と思っていたら、意外にも本人たちが目を丸くして『それはありがとう!大切にするよ!』なんて真顔で応えるものだから実際には3チェント程度だと言いづらくなってそのまま放置しちゃいました。
だって、15万円相当なんてホイホイ気軽にあげるわけないやん?
そもそも、そんな高価なもんをオブジェの重りにするかよーって話。
もしかしたらこのトルコ人青年たちには冗談が通じないのかもしれません。それとも1万ユーロ(約150万円)くらいまで言っといたほうが良かったのかな?僕自身のボケレベルが中途半端だったせいなのだろうか…と無意味に自分を責めつつ謎の反省。
本当は金銭価値なんかよりも彼らに『五円』と『ご縁』についての解説をしたかったのですが現時点の僕の語学力では到底無理そうなので割愛しました。
さて、一夜明けて待ちに待った12月24日。
イタリアで過ごす初めてのクリスマス・イヴの朝がやってきました。
リビングにオルハンがいたので早速『チャオ、オルハン!ブォン・ナターレ(メリークリスマス!)』と元気良く声を掛けると、予想に反して彼は複雑な表情を浮かべて『僕はトルコ人でクリスチャンではないんだ。だから今日は祝っちゃいけないんだよ…』と言うのです。
そして彼はガブリエッラにも『今日と明日は友人と外で過ごしてくるから』と告げると、そそくさと外出して行ってしまいました。
残念そうにしているガブリエッラに僕らが再び『ブォン・ナターレ!』と声をかけると彼女は笑顔で僕らに同じ言葉を返してくれました。
その夜。
イヴの夕食用に前から買ってあったボローニャ名物のサルシッチャという生ソーセージをキッチンで豪快に焼いていると、ふらりとガブリエッラが近寄って来ました。
そして彼女は何やら険しい表情でサルシッチャと僕らを交互に見やると何も言わず、小さく首を振りながら部屋へと戻って行ってしまいました。
(…え!? なに? そのリアクション…! 意味不明やし!)
でも、そう言えばガブリエッラも以前から色々とクリスマス用に準備していたはずのトルテッリー二などの料理を作ろうとしている気配が全くありません。
もしや、イヴの夜は断食…もしくは肉や魚を食べてはいけないなどといった宗教的な決まりでもあるというのでしょうか?結局、ガブリエッラが冷たい態度だった理由も特に分からないまま刻々と時は過ぎていきました。
イヴの深夜にはサンペトロニオ聖堂という大きな教会でクリスマスの祭典があると語学校の先生から聞いていたので行ってみることにしました。
祭典の開始時刻よりも少し早めに到着したので深夜のマッジョーレ広場でちょっと気取ってクリスマスナイト的な写真を撮ったりしつつ時間を潰します。リア充か!
やがて徐々に周辺の人々が動き出したので、僕たちもいざ大聖堂の内部へ!
どっひゃ~!!!
初めて入った教会の中は天井が高く、想像以上に広くて薄暗い印象です。本当は聖堂内部は写真撮影禁止らしいのですが…ごめんなさい、どさくさに紛れて、こっそり1枚だけ撮ってしまいました。
ホールにはたくさんのイスが並べられていましたが今夜は聖歌隊がクリスマスソングを歌ったりすると聞いていたので、ぜひ前の方で鑑賞したいと思い最前列の席を確保。そこで祭展の開始を待つことにしました。
すっかり教会内も多くの人で埋め尽くされた深夜23時半過ぎ。
荘厳なパイプオルガンの音色に合わせ、静かに聖歌隊の合唱が始まりました。
透き通るような美しい歌声のハーモニー、大聖堂ならではの包み込まれるような深い残響に思わず鳥肌が立ちます。
イタリア語の『きよしこの夜』などに聞き入っていると突然、ガララーン!ゴロローン!と大きな鐘の音が鳴り響きました。
24時。ナターレの到来です。
すると申し合わせたように一斉に人々がイスから立ち上がったので、慌てて僕らも周囲に従って起立しました。
やがて周囲に強烈なお香の臭いと煙が漂い始め、正面の教壇に真っ白な衣装を纏った神父らしき偉そうな人が登場。
神父が教壇で何かを語り始めると一定の箇所で会場内全員が同じ祈りの言葉を口にし始めます。
な、なんだ…この生々しいほど異様な宗教的空間は!?
これこそがキリスト教徒率が国民の約80%を占めるといわれているイタリアの真のナターレ(クリスマス)の姿なのでしょうか。
なんせ僕らが陣取っている場所は、あろうことか聖堂の最前列のど真ん中付近です。完全なる場違い最前列ナターレ野郎でしかありません。
さらにはロウソクを掲げた白装束の集団が行列を形成し、チーン!と鐘のようなものを鳴らしながら客席側へ降りて来るではありませんか。
そして信者たちは祈りのポーズで掌を組んで行列を迎え、その行列にお布施のようなようなものを順番に手渡しているのです。
…や、やべぇ!ヤツら、こちらへ向かって来やがるぞ!
今は財布すら持ってないし、もはやこの雰囲気自体に付いていけない!!
今こそ我ら一族の誇る『究極の最終奥義』を使わねばなるまい!
《つづく》
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