第7話 『トルコ人vs関西人』
① …ちょっと、すいません
3ヶ月以内の旅行や滞在であれば特に気にしなくて良いことなのですが、ここイタリアで90日以上の長期滞在をする場合、入国から8日以内にペルメッソ・ディ・ソッジョルノ(※略してペルメッソ)と呼ばれる滞在許可証の申請手続きをしなければいけないことになっています。
このペルメッソとは『私はちゃんと合法的に滞在してる人ですよー』ということを証明するための書類で、出国前に日本で取得するピザやパスポートとは別に現地へ到着してから申請取得するしかないイタリア語の許可証なのです。
ちなみに、この申請をしないままイタリア入国から90日以上が経過して見つかると不法滞在者と見なされ、最悪の場合、強制送還されてしまうこともあり得るそうですので決して無下にしてはいけません。
申請方法は先にクエストゥーラ(警察署)へ電話予約を入れてから必要書類を提出すると聞いていたのですが現時点の僕らにそんな器用な芸当ができるはずもありません。
そこで留学手続きのやりとりをしていた段階から語学校にペルメッソの申請予約も依頼しておいたつもりだったのですが、このペルメッソの話題について学校から何の音沙汰もないため、だんだん不安になってきたのです。
『ペルメッソ申請の電話予約を事前に頼んであったはずなんやけど、どうなってんのかなぁ?このままやと法律違反になってしまうから早めにしてほしいんやけど…!』とでも伝えられればいいのですが、いかんせん僕は『自己紹介』と『ドーヴェ(どこ)?』くらいしか話せないので無理難題です。
とりあえず事務員のアレッシアに『ペルメッソ。ペルメッソ?ペルメッソー!』と思いつく限りのジェスチャーを交えながら説明してみるものの案の定、彼女は困惑するだけで意図は一切通じませんでした。
それも無理はありません。
後で知ったことですがペルメッソという言葉自体は直訳すると『許可』という意味になるのですが、日常会話で『ペルメッソ』と言うと『…ちょっと、すいません』といったような人の前を通ったり、自分のために場所を空けてほしいときなどに軽く声がけするための言葉になるそうです。
つまり、アレッシアにとっては必死の形相で『…ちょっと、すいません!』を連呼しながら怪しいモーションをする謎のアジア人にしか見えなかったということです。
ひとまずアレッシアとの意思疎通をあきらめた僕らは警察署の窓口まで行けば申請書類くらい自力でなんとか受け取れるんじゃないのか…?と高をくくり、ボローニャの中心部にある大きなクエストゥーラ(警察署)まで無謀にも直に足を運んでみることにしました。
申請書類を入手してアレッシアに見せれば、さすがに僕らの目的を理解してもらえ、おそらく記入や電話などの申請手続きは手伝ってくれるだろうと考えたのです。
クエストゥーラの場所自体は以前にナオコからざっくりと聞いていたので、その付近まで行き、なるべく親切に教えてくれそうな雰囲気の人を選んで得意の『ドーヴェ クエストゥーラ?』を繰り出すことでスムーズに辿り着けました。
さすがに警察署だけあって立派で威圧感のある建物です。
意を決して入口付近に立っていたガタイのいい警官のおっさんに親しげな微笑みを浮かべつつ、『ペルメッソ ペルファボーレ?(ペルメッソをお願いできますか?)』というイタリア語(…のつもり)を伝えてみるも、やっぱり怪しまれたのか、しかめ面で逆に質問攻めに遭ってしまい、一言も答えられずにオロオロしていると最終的にシッシッ!と門前払いを喰らってしまいました。
これも相手側からしたら『…ちょっと、いいですか~? お願いしますよ~!』と言いながら笑顔で迫ってくる不審者でしかなく、物乞いだと思われてしまったのか…そんな感じの面倒くさそうな冷たい対応でした。
『…マンマミーア!(なんてこったい!)』
たいして役に立たない余計なイタリア語だけはマリオで死んだ時のBGMと一緒に自然に出てくるのが歯がゆいところです。
あまりにしつこく食い下がって逮捕されると困るので一旦学校まで引き返して日本語の少し分かる先生か、もしくは滞在歴の長そうな日本人生徒を見つけ出して相談してみることにしました。
『最初から、そうしとけば良かったんちゃうの?』
妻が言い返しようのない正論で僕の心を小突いてきます。
② 女神降臨
実は語学校には僕らとナオコ以外にも日本人だと思われるアジア人(実際に全員と話したわけではないため正確には分かりません)は何人か見かけていたのですが僕には彼らに分からないことを相談しづらい理由がありました。
それはイタリアに語学留学に来ている人の中には海外に来てまで日本人とつるみたくない(関わりたくない)と考えている人が少なからずいるということを感じ取っていたからです。
そういう人たちは日本人同士で群れて日本語で会話をしていると語学の習得力が鈍ると考えているようで、日本人同士で会話をするときでも絶対にイタリア語でしか話さず、日本語で話しかけ続けていると機嫌が悪くなってしまう人もいます。
僕自身、語学校に入学してから何人かの滞在歴が長そうな日本人らしき人にPCルームや廊下などで軽く挨拶をしてみたり、交流しようと積極的に話かけてみたこともあったのですが明らかに相手にしたくなさげな空気感が伝わってきて、だんだん声をかけるのを遠慮するようになっていったのです。
学校へ戻り、日本語の分かる先生を探して事務室を訪れるもアレッシアしか見当たらず、どうしたものか困り果てていると偶然、事務室を訪れた一人の日本人女性が『…あれ、日本人の方ですよね?どうかしましたか?』と声をかけてくれました。
彼女の名前はコズエ。
コズエは僕らの話に熱心に耳を傾け、現地の人かと思うほどペラペラの流暢なイタリア語でアレッシアと僕らの間を完璧に通訳してくれました。
ちょっと待って。めちゃめちゃ神々しいんですけど!
その瞬間から僕らはコズエのことを『女神』と呼ぶことにしました。
彼女の通訳によるとアレッシアは僕らの分も含め、複数の生徒のペルメッソ申請予約の電話を毎日クエストゥーラにかけてはいるものの、混み合っていて全くつながらないらしく明日以降もかけ続け、つながり次第ちゃんと連絡してくれるとのこと。
また、女神コズエも『ボローニャで入国8日以内にクエストゥーラにアポをとるなんて普通はほぼ不可能だから全く気にしなくて大丈夫。人によっては1年くらい滞在してたのに帰る直前頃になって、やっと許可証が発行されたって人もいてるくらいだから!』と笑いながら言ってくれ、僕らも一安心。
最高に心強い女神が降臨したと思って歓喜したのも束の間、話を聞くとなんと彼女は翌日には日本へ帰国してしまうらしく、今日はその別れの挨拶をするためにアレッシアに会いに来たという状況であったことが判明。
ショックを隠せない僕らにコズエは『ちょっと待ってて!』というと友人のクニという若い男性を連れてきて『もし今後、何か分からないことがあったら遠慮なく彼を頼ればいいから!』と紹介してくれました。
『…女神さま~っ!!!』
コズエとはつい数分前に出会ったばかりなのに、その優しさと心づかいに感動して泣きそうです。
クニも人の良さそうな穏やかな雰囲気で『僕なんかで良かったら何でも気軽に相談してくださいね!』と言ってくれました。彼もコズエと同じハイレベルクラスの生徒さんなのでイタリア語会話に関しては何も心配は要らないようです。
ストイックに語学を学びたいという人の気持ちも理解できないわけではないので、あえて日本人を拒絶する人たちの行動を否定したりはしませんが、やっぱり僕自身は海外でのこういった日本人同士のつながりも語学を学ぶのと同じくらい大切なことだと思うし、もし自分が一年後にコズエやクニみたいにイタリア語ペラペラになれていたら、今の僕らと同じように困っている初心者の助けになってあげたいと強く思いました。
③ トルコ人vs関西人
帰宅後。
女神コズエ様のカッコいい流暢なイタリア語を聞いて俄然、ヤル気になった僕らは夕方から夜遅くまでイタリア語の勉強に集中していました。
妻は学校で習った項目を日本語の参考書で詳しく復習するとともにイタリア人が会話で良く使う定番フレーズなどを自分も使えるように研究しながらイタリア語に慣れ親しんでいく作戦だそうです。
僕は最終的にレストランの厨房で働くことが目的なので何よりも調理関係の基本用語や料理に関係するイタリア語会話を優先しつつ、とにかく知っている単語の数を圧倒的に増やしてやろうと基本単語を片っ端から覚えていくつもりで取り組むことにしました。
さらに今後は夫婦間の会話も可能な限り、イタリア語でやりとりしていこうと決めました。
※上記で紹介している書籍は全て僕たちが実際の学習で使用し、中でも特にオススメだと思っているものばかりです。
気がつけば夜もふけて深夜1時過ぎ。
喉が乾いたので共同キッチンに炭酸水を飲みに行くと食卓のテーブルで同居人であるトルコ人の青年が1人で勉強している現場に遭遇しました。相手側も僕がキッチンに来たことに気づいた様子です。
初日にガブリエッラに軽く紹介されて以来、彼らときちんと会話をしたことは一度もなかったので僕はこの機会を逃すと、もう自然に話し始めるキッカケを失うかもしれないと思い、少し勇気を出して彼に近寄っていきました。
そして自己紹介の授業のときに習ったフレーズ『コメ ティ キアーミ?(キミの名前は?)』というイタリア語で話しかけてみました。
彼は親しげな笑顔を浮かべて『僕はブーラで友達はオルハンだよ』と答えてくれました。
ブーラに『トルコ?』と聞くと頷いたので、とりあえずトルコの有名な料理である『シシケバブー!』と言ってみたら苦笑いされました。
やや間をあけてブーラが『…スシ!?』と返してきたので『イエース!アイ・アム・スシ!』と意味の分からない英語を言い放ちながら親指を突き立てると、ちょっとだけウケて微妙に盛り上がりました。
(おおお!トルコ人にウケた!)
関西人代表として、どうしても避けることのできなかったボケが外国人相手に通用したのは嬉しい限りです。
ここでさらにブーラが『ナンデ、オマエガスシヤネン!』とでもつっこんでくれれば国境を越えて友情が芽生えたかもしれませんが、さすがにそれは叶いませんでした。
まぁ…ファーストコンタクトはコレくらいで許しといたろ!と気まずくなる前に『チャオ、ブーラ!』と告げて自分の部屋へと素早く撤収。
部屋に戻り、妻に『今、トルコ人としゃべってきたでー!』と興奮気味に報告すると『うっそぉ、マジで!?何しゃべったん!?』と興味深々です。
渾身のアイ・アム・スシ!のネタを説明するも『うわ~、さぶっ!ただのアホやん!日本の恥やん!』とドン引きする妻。…おいおい、もっとこの快挙をうやまわんかい!
などとプチ攻防しているとコンコンと扉がノックされました。
『…え、ハイ!?』
なんとブーラとオルハンが2人そろって僕らを誘いに来たのです!
きっと、あの後すぐにブーラも部屋に戻ってオルハンに『聞けオルハン!あの日本人がしゃべってきおったぞ!』『え?マジか?』『なんかアイ・アム・スシ!とか言ってて意外とアホそうやで』『そいつ相当ヤバいな!』などとやり取りしたあげく、今が親しくなるチャンスかもと声を掛けることにしたのでしょう。
まさかの展開にドギマギしながらキッチンの方へ向かうとトルコ人たちが食卓にパンケーキとコーヒーを人数分、用意してくれていたので僕らも朝食用だった秘蔵のチーズを配って、初めて4人で一緒のテーブルにつきました。
互いに緊張しつつも、電子辞書を片手にイタリア語と英語の交じるヘンテコな言語で会話していくうち、ブーラは21才ながら海洋学の博士だそうで、オルハンも若干20才にして母国語であるトルコ語、英語、イタリア語の3ヶ国語を自在に操る秀才コンビだと判明。2人共、現在はボローニャの大学に留学中とのことでした。
ブーラが『何か日本語を教えてよ!』と頼んできたので僕が最も好きな言葉だと説明して『おいしい』という日本語を伝授。ブーラは嬉しそうに何度も『オイスィー!!』を連呼していました。
僕もブーラに対抗してパンケーキをかじっては『オイスィー!』、コーヒーを飲んでも『オイスィー!』を連発し、最後は『アイ・アム・オイスィー!』でしめておきました。トルコ人爆笑。よし…勝った!(何が?)
妻からの(マジで恥ずかしいから、そのへんにしとけよ!)という鋭い目線をビリビリ感じながらも、今日は遠い異国の地でたくさんの友人ができた素敵な一日でありました。
《つづく》
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