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第3話 『ボローニャと雪の洗礼』


① おはようミラノ

昨夜遅くに憧れのイタリアへと死にものぐるいで到着し、日本から遠く離れた異国の地ミラノで迎えた初めての朝

極度に疲れていたため爆睡はできたものの、ベッドから起き上がった瞬間に『イテテテ…!』と全身に激痛が走りました。どうやら昨日の大きなスーツケースを引きずっての長時間移動のせいで、ひどい筋肉痛にみまわれている模様。まさか日頃の運動不足がこんなタイミングでになるとは…。

強烈な痛みに顔をしかめつつも朝食を予約してあったのでエレベーター1階へ降りてみると、なぜか昨晩あったはずのフロントがどこにも見当たらない

不思議に思ってエレベーターへ戻ってよく見ると、階数ボタンの『』の隣に印刷のかすれた『』なる表示を発見。おそるおそる『』を押してみるとちゃんとフロントのある地上階へと到着しました。

つまり、イタリアでは日本で言うところの1階が0階2階が1階といったふうにフロア表示がずれているようです。なんだかややこしいですが、まぁ…これは慣れるしかありません

簡素なバイキング式の朝食を食べ終えると、すぐに荷物をまとめて『ホテル・サン・カルロ』をチェックアウトすることにしました。なにせ今日は今後の長いイタリア生活での本拠地となるであろう食の都『ボローニャ』まで移動しなければならないのです。

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② ミラノ中央駅

昨夜『抽象的すぎる地図』を見ながら何時間も迷って歩き回ったおかげで周辺の道筋には詳しくなっていたこともあり、中央駅までは驚くほどスムーズに到着余裕をかまして駅前で記念写真を撮ってみたりします。

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さて、本日最初の関門はボローニャ行きのインテルシティ(特急列車)片道2等席切符、大人2人分を購入することでしたが、これは事前に用意しておいた希望条件を書き連ねた手書きメモ券売窓口の人に見せることで目的の切符をあっさり入手することができました。今日の出だしはなかなか好調です。

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ミラノ中央駅はどこぞの世界的に有名な建築家が『世界で最も美しい鉄道駅』だと称賛したというだけのことはある立派な造りで、中に入ると確かに『…おおお!』とその迫力に圧倒されます。

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さて次なる難関はミラノ発の列車へ乗り込む前にボローニャのホームステイ先として語学校から斡旋されたガブリエッラさんのお宅へ直接電話で連絡を入れるという約束です。

イタリア人とちゃんと話すこと自体が初めてですし、英語は大の苦手イタリア語は『チャオ』と『ボンジョルノ』と『グラッチェ』くらいしか知らない状態なので連絡といっても、そもそも会話が成立するはずもない上、苦し紛れのジャスチャーすら届かない相手電話でコミュニケーションをとるなんて完全なムリゲーであるとしか言いようがありません。

ひとまず駅構内にあった自販機でテレフォンカードを購入。公衆電話の近くで番号のメモを眺めるも、いざとなると異常に緊張してきて電話がかけられません。まるで中学生の頃、好きだった女の子の家に初めて電話をかける…あの初々しかった青春時代に戻ったかのようなもどかしい感覚です。

それから約10分かけてふにゃふにゃモジモジした後、意を決して勢いだけダイヤルをプッシュ。目をつぶって全神経を耳に集中し、相手の声が聞こえるやいなや…。

もしもしボンジョルノー、タスクですよ!ミラノなう!インテルシティのトレインでゴーゴー、ボローニャやで。グラッチェ!

もはやめちゃくちゃです。

正直、電話を切った直後でも自分が何を言ったのか、相手が何かを言ったのかも全く覚えていませんでしたが、ミラノから出発前に連絡をするという約束だけは間違いなく果たしたので、とりあえずは良しとしておきました。

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ちなみにイタリアの駅には日本のような改札機やゲートの類一切ありません屋外から電車に乗車するホームまで誰もが自由に行き来できてしまう状況です。

購入した切符は駅構内の各所に設置してある黄色いタイムカード刻印機のような機械に各自でガチャンと差し込んで乗車日時を刻印してから6時間有効となります。

そしてその打刻してある切符車内で巡回してくる車掌さんに見せるというシステムになっているのです。仮に切符をちゃんと買って持っていても打刻機を通していないと乗車違反になってしまうので注意が必要です。

ちなみに後から知った情報ですが車掌さんが巡回してきた際に打刻忘れが発覚した場合は50ユーロ(約6,000円)もの高額な罰金を請求されてしまいますが、車内で自ら車掌さんを探して打刻忘れを自己申告した時の罰金は5ユーロ(約600円)で済むそうです。

万一、打刻を忘れて列車に乗ってしまった時は、すぐに車内で車掌さんを探して自分から申告するようにしましょう。

※なお、車掌さんは全く回ってこないこともありますし、打刻を忘れた切符を見せても、そのままスルーされることも良くあります。その辺りは結構、適当です。なぜならイタリアだからです。

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僕は他の乗客たちの行動を注意深く観察していたので同じように切符の打刻を済ませ、ボローニャ経由ナポリ行きの列車前に立っていた駅員さんに切符を見せて「これでOK?」と確認してから乗車しました。

イタリアのインテルシティは車両内に通路があり、その通路沿いに小部屋が並んでいるような造りになっていました。空いていた部屋の窓際に座ってしばらく待っていると、やがて列車がゆっくりと動き出しました。

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チャラ、チャッチャラーチャラ、チャンチャーン…♪
思わず『世界の車窓から』のテーマを口ずさんでしまいます。

いい感じです。

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しかし、しばらくすると外では吹雪が吹き荒れはじめ、辺りはみるみる雪景色に染まり、ついには何も見えなくなってしまいました

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さらに残念なことに途中の駅で乗車してきた人が僕らの座っていたシートを予約していたらしく部屋を追い出されてしまい他に空席も無かったため、最終的には寒い連結部で立ったまま数時間後の到着を待つハメになってしまいました。

あぁ、やっぱり結局はこんな感じになるのね…と嘆くほかありません。

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③ ネーヴェ!ネーヴェ!

やがて列車はボローニャ中央駅へと到着。
外は大雪で足元は半解けになった雪と泥でベタベタです。

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右も左も分からない上、大きな荷物を抱えているので気軽に市バスに乗り込むこともできません。まして、この足場の悪い中をスーツケースを引きずりながら徒歩で移動するなんて想像しただけでもトライアスロン並みの過酷さです。

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目的地であるガブリエッラ邸住所簡単な地図は預かっているものの昨夜のミラノで苦労した前例があるため、イタリアの地図の精度疑心暗鬼になっている自分がいます。

できるだけ余計なお金は使いたくないので近いのであれば気合で歩きますが実際のところ地図を見ても意外と近いのか、はたまた歩けないほど遠いのかという尺的な距離感がつかめません

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結局、悪天候に加え、全身筋肉痛で体の節々が悲鳴を上げていたため予定には無かったものの急遽タクシーを利用することにしました。

極寒の中、駅前のタクシー乗り場の行列に並ぶこと約30分

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荷物をトランクに積み込んでもらい、初めてイタリアのタクシーに乗り込みました。

30代くらいの若い男性運転手地図を見せると、しばらく眺めて何度か頷いた後、すぐに車は走り出しました

車はそれなりの距離を進んでいたので『地図を頼りに歩かなくて良かった…!』と心の底から勝ち誇っていると、途中の赤信号で止まった際に運転手の男性が突然こちらを振り返って言葉を発してきました

ネーヴェ!

!?

当然、僕は全く意味が分かりません

ネーヴェ!ネーヴェ!

運転手の男性は僕に向かって何度も『ネーヴェ!』という言葉を連呼してくるのです。

え、何? 『ここで降りろ!』って言ってるのかなぁ…!?

ですが、運転手はドアを開ける気配もなく、信号が青になるとまた前を向いて走り出します

次の赤信号でも振り返って『ネーヴェ!』と言うので、僕は(あ、そうか!もう一度地図を確認したいから『地図!』と言ってるんだ!)と察し、慌てて住所の紙を出して見せると『ノォ!!』と困った顔で拒絶されてしまいました。さすがの僕でも『ノォ』の意味は分かります。どうやら地図を確認したいわけでもなさそうです。

彼はその後も窓の外の信号付近を指差したりしながら『ネーヴェ!ネーヴェ!』と連呼するので、なんだかこいつは『ちょっとヤバいやつなのかも知れない…』と思えてきて、だんだん不安になってきました

他に思いつくのは『もう少しで着くよ近いよ!)』ということが言いたいのかなぁ…なんて想像しながら、もう分からないので愛想笑いだけを返しながら黙って到着を待つことにしました。

ほどなくして大きな門扉のあるマンションのような建物の前でタクシーは停車し、運転手の男性が荷物をおろしてくれました。タクシー料金の相場も良く分からないので運転手の男性に言われたままの料金を手渡し、数百円程度のお釣りはチップとして受け取りを拒否しました。そして最後に『グラッチェ!』とだけ告げて走り去るタクシーを見送りました。

後で調べたところ、ネーヴェとは『』の意味でした。

どうやら運転手の男性は旅行者である僕らに単なる世間話を振ってくれていただけだったようです。今更ながら心の中で『ヤバいやつ?』なんて疑ったことをお許しください。深く反省しております。あー、ごめんなさい

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④ ガブリエッラ邸

門扉近くの壁面にはいくつかのネームプレートとチャイムボタンが並んでおり、その中にお世話になる『ガブリエッラ』の名前もありました。

いよいよのご対面に意を決してチャイムを押すと門扉が自動でゆっくりと開きはじめたので驚きました。見た目はクラシックな雰囲気の漂う両開きの門扉ですが、いわゆるリモート式のオートロックになっているようで地味にハイテクです。

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門扉の奥にあったマンションに向かって歩いていくと1階の角部屋から1人の初老の女性がこちらに手を振っているのが見えました。このおばあちゃんこそが今回、僕らに部屋を間貸ししてくれる家主のガブリエッラです。

簡単な挨拶(お互いに言葉は全く通じませんが雰囲気だけ)を交わした後、キッチンやバスルームや寝室など家の中の設備を一通り案内してくれました。

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家の中は想像していたよりもずっと広く、僕ら以外にもう一組の同居人がいるとのことで紹介してくれました。20代前半くらいの若いトルコ人男性2人とネコ1匹でしたが、この時点では名前すらうまく聞きとれませんでした

同居人のみんなと少しづつでも打ち解けて仲良くなれたら良いなぁ

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僕らが夫婦だということは語学校から伝わっていたようで、ガブリエッラに『子供はいるの?』と尋ねられたことだけは分かったので首を横に振ると『あなた達が子供みたいに見えるわ!』と言われてしまい初めて一同で笑いました。僕らは日本人の中でも童顔で身長も低かったため、そのようにからかわれてしまったのでしょう。

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僕のごく個人的な海外ホームステイのイメージでは到着初日の夜なんかはホストファミリー豪華なご馳走を用意してくれ、家族みんなで『ようこそ、我が家へ!』なんて暖かく迎えてくれたりするんだろうなぁ…なんて勝手な妄想を抱いていたのですが、その期待は大きく検討はずれなものであったことが判明しました。

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同居人たちは挨拶が済むとすぐに各々の部屋へと戻っていき、ガブリエッラが手渡してくれたメモ電子辞書で訳してみると『明日は日曜日なので今日中に食事を買っておかないと明日はほとんどの店が閉まります。急がないと今日も夕暮れには閉まりますよ。』との内容。

…マジか!急がないと今日も明日もご飯抜きになってしまうぞ!

僕の甘い妄想は外の吹雪のように瞬殺で吹き飛び、慌てて再び外出すべく身支度を整え、玄関へと走りました。

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⑤ 雪の洗礼

現時刻は午後6時

外は相変わらずの大雪で、すでに薄暗くなりはじめています。

ガブリエッラが『早く買いに行かないと…』と言っていたということは、きっと近くにスーパーがあるのだろうと適当にアテを付け、財布だけをつかんで屋外へ飛び出してはみたものの近隣の店がどこにあるのかなんて分かるはずもなく、吹雪の中を大きな道路沿いにひたすら西へ東へさまよい歩くこと約2時間…。

夕暮れ頃には閉まるとも書いてあったので、もう今さら店を見つけても閉まっているかもしれないと諦めかけたとき、ようやく暗がりの中一軒のスーパーマーケットらしき店を発見することができました。

スーパーから漏れる蛍光灯の灯り神々しく見え、無限砂漠の世界でオアシスを見つけた旅人の気持ちが分かりました。

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ここイタリアで生き延びるために初めて突入したスーパーiN's(インス)』は生鮮食品以外は大概のものが揃う使い勝手の良さそうなショップでした。いわゆるスーパーマーケットというよりは日本のディスカウントショップに近い印象でパンやパスタやチーズやドリンク類などがダンボール箱のまま並べてあるような激安食料品販売店です。

もう閉店間際で一部の片付けが始まっているような状況でしたので興味はあっても今日はゆっくりと商品を物色しているヒマなどありません

ひとまずイタリアの水道水は飲まない方が良いと聞いていたので最低でもミネラルウォーターは何本か買っておく必要がありそうです。

また、ガブリエッラ邸共用キッチンを案内された際には僕ら専用の食材保管棚や冷蔵庫内の使用位置まで細かく指定されたので、あの様子では調味料ですら完全に個人別といったような徹底した雰囲気です。そうなると塩や砂糖なども揃えていかねばなりません。

他にはパスタやオリーブ油、パンやラスクなど当面の食料になりそうなものを中心にカートへ手早く放り込んでいきました

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イタリアへ来て初の買い物。たかがレジごときにも緊張してしまいます。

レジの列に並びながら他人を観察するに買い物袋は持参が基本らしく、なければ購入しなければならないようです。

会計の際に『サッコ?(袋は?)』と全員が順番に聞かれていることが見て取れたので自分の番の時に『ないです!』と伝えるつもり手を横に振ると『要らない』と意思表示したと勘違いされ、袋をもらい損ねてしまいました

イタリアでは『袋は?』という質問に対し『イエス』と答えれば『ください』、『ノー』と答えれば『要りません』と判断されるわけです。

日本的な感覚だと『袋は?』という問いに対してなら『ありますイエス)』、『ないですノー)』と返事が逆になってしまう現象が起こり得ます。

質問の尋ね方が『袋は?』といったぶっきらぼうな言い方ではなく『袋はご入用ですか?』と丁寧に聞かれていれば『はい』と『いいえが海外とも一致するのですが言葉って難しいものですね。

イタリア語が全く分からないため『やっぱり下さい!』と伝えることもできず、他のお客さんも列んでいるため仕方がなく、レジ横にゴミとして積み上げてあった空のダンボール箱を拝借し、買ったものを詰め込んで店を後にしました。

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つい先程まで店を探すために2時間も街を歩きさまよっていたところなのに、またすぐに暗くて寒い吹雪の夜道を重いダンボール箱を抱えながら約1時間かけて徒歩で帰らなければいけないのです。

筋肉痛はひどいし、手はかじかんで感覚がないし、脇腹も痛いし、足も棒みたいだし、昨日にも増して限界フラフラの状態です。まさか今日の最後にもこんな強烈な洗礼が待っているなんて思いもしませんでした。

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はぁ…はぁ…。

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うぐぐぐ…つ、つらい…つらすぎる

妄想では今ごろ温かい食卓で楽しい歓迎ホームパーティーが開催されているはずが…!

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やっとの思いで帰宅し、簡単な夕食を済ませた後はすぐにベッドへと直行しました。

想定外の失敗や多少の見込み違いはあったにせよ、度重なる困難どうにか自力で乗り越えられたと実感できた少しだけ誇らしい夜でもありました。

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《つづく》

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