信じて愛する事の大変さ。
「信じてくれ」と言う人ほど、信じれないのは何故だろう。
「信じる」とても強い気持ちだと思う。
気持ちが入っているはずなのに、ただのその場をし退く為・綺麗事にしか思えないのは何故だろう。自分自身を信じていないからなのか、若しくは「信じてくれ」と使う人に、裏切られてきた事も影響しているのか‥否、全てだと思う。
【信じる】事に疲れてるのかもしれない。
信じる=その人を愛する。尊敬すると匠海は思っている。尊敬する部分が、愛せる部分がないのだろう‥悲しいね。
言葉とは、大きな力を持つ。だからこそ、その力を知ってほしい。その場しのぎで言い過ぎると、その人の言葉の力を持たなくなる。説得力と言うやつか?‥ゼロになってしまう。その事に気がついたって後の祭りだ。そんな人ばかり見てきた、だから‥本当に信じてほしい時に誰もついてこない。その悲しい後ろ姿を見る度に思う。
「世界の主人公だと思っているのか、今まで裏切って来たのにも関わらす‥人が許して愛すると思っているのか‥都合のいい頭だ」と。
匠海は、悲しい人間なので‥それでも愛そうとは思わない。二度あることは三度ある、どうせオシャレに言葉を使っているんだろうと感じる。性悪だ。
愛せないのだ。愛する=信じる・尊敬すると言うことだと匠海の中で、変換されている。そう解釈している。自分自身も愛せて居ない人間が、信じれない人間が‥他者愛しきれるのか、尊敬できるのか考えてしまう。
ファンの皆んながくれた愛を返したい。だが、返せているだろうか。
自分で信じられていないからこそ、この不安が起きてしまう。
匠海はよく「愛しているぞ〜〜!!!」と言う。それは、「自分自身愛しきれていないし、尊敬もできてないけど‥でも!匠海は、皆の事が大切って事少しでも伝わって欲しいでも、信用はし過ぎて居ないよ、それは皆の重荷になっちゃいけないから」と言う‥大変エゴである。側から見たらこの言動も「愛してる」のバーゲンセールみたいに聞こえるだろう。
それでも、これしか今は思いつかないのだ。行動をきちんとして、愛を伝える事しか‥今はできない。
申し訳ない、まだまだの人間で。まだまだ過ぎる配信者で。