貴方の入れた珈琲を味わいたかった
ねえ、声を聞けない恩人。
私ね、大きくなったの。もう大人って言われる歳だよ。
貴方は、制服姿が最後だよね。黒いスーツ着るようになったの。
でも、きちんとした大人にはなれなかった。
貴方みたいな、大きな背中ではないし。沢山の人に慕われる様な人間でもない。
頭が良いわけでもない。覚悟を持って行動ができない‥最悪な孫になってしまったよ。
そして、今年も貴方の命日に会いにいけなかった。
墓前で報告したいことが沢山あったのに。
ごめんなさい、こんな孫で。
人って何から忘れていくと思う?声なの。
そんな事ないって思ってたの。本当に。でももう、貴方の声が思い出せないの。
とても、とても自慢の祖父で、父の代わりになってくれた人。私の恩人なのに、声が思い出せない。
写真は沢山あるのに、思い出も実の父親より沢山、沢山あるのに。大きな手でガシガシと撫でる撫で方だけは忘れないの。声は忘れるのに…本当に不思議ね。
そんなに、頭を撫でられたこともないのに‥それだけは覚えてて、頭を撫でられると今だに嬉しくなるの。変わってないでしょ?
覚えていないと思ってるでしょ?幼稚園の時、運動会は貴方がきてくれたね。
親子競争で自分で「出たい」って母に言ったのに、参加すると若いパパさんばかりで‥貴方は「ごめんな‥おじいちゃんで」って言ったよね。あの時匠海は「おじいちゃんがいい!」って叫んだよね。覚えてるよ。だって貴方が良かったの。貴方は自慢の祖父で、父の代わりになってくれた人だから。
実の父は一度も行事に来たことは無いけれど、貴方は参観日も運動会も全部来てくれたね。忘れてないよ。
頑張ったら、「凄いな、匠海」って褒めてもらえるから。撫でて貰えるから。
父は私を殴るけど、貴方は、ガシガシと頭を撫でてくれるから。そのガシガシと頭を撫でるの好きだったの、本当に。
どうして教えてくれなかったの?お薬がないと生きていけない事も、お薬を飲んでももう限界だった事も‥お父さんの代わりになろうとしてくれた事も。
でも全部、知らなかったよ。なんで、いなくなってからなの。
貴方にもっと見てほしかった。教えてほしかった。
貴方がいれた珈琲を、ストレートで一緒に味わいたかった。私の為に用意してくれたポンジュースも好きなの。でも、私は大きくなった時、貴方と一緒に珈琲が飲みたかった。
貴方はびっくりするよ。
ほんの少し話しがいのある人生に変わったの。
まず、珈琲が好きになったの。
あんなに「苦い」って言ってた飲み物を好んで飲むようになったの。勿論ストレート!貴方と同じだね。
後ここは変わらないの、匠海は身長は貴方が亡くなった時から変わらず、祖母のおにぎりが大好きで、貴方が使っていたカメラを使っていること。
学生から社会人になって…仕事は‥うーん、ブラック職場でボロボロになるまで働いて、心が擦り切れちゃった。
貴方が楽しさを教えてくれた、カメラも読書もできなくなった。仕事を辞めたの。その時には心の病気で、休みが必要だったの。
けれど私は、貴方と同じ場所に行きたかった。
行ったら「頑張ったな」って、あの時と同じように褒めて欲しかった。
でも貴方と同じ場所に行く前に、「やってみたことない事をやってから行こう」と決めて配信を始めたら1年経っていたこと。
その配信で、貴方が私の為に録画をしてくれていたアニメの声優さんに出会うことも、そしてあれだけお友達が欲しいって言ってた‥声優さんのお友達ができたことも。
「もっと経験して長生きして、貴方に会いに行こう」そして、貴方の入れた美味しい珈琲を飲みながらずっとお話したいに変わったよ。
もし、私がそっちに行っても‥もし、生まれ変わりというものが存在するならば、また貴方と沢山話したい。おままごとをしたい。手を繋いで歩きたい。頭を撫でて欲しい。
あ、まだまだ先の話だけどね。
ああ、でも離れたくなかったな。
いっぱい近くにいたはずなのに、匠海には知らないことばっかり。ムスッとしちゃう。
8月25日は大っ嫌い。受け入れなくちゃいけないから。当たり前なんだけどね。
遠い記憶のはずなのに、声は思い出せないのに、貴方に愛されていた事とガシガシ撫でる撫で方は覚えているの。
不思議だよね、おじいちゃん。