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生活するということそのものが幸せであることについて
(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)
幸せというと人それぞれだろうし、そして幸せの形というのも、その時その時、あるいは年を重ねて変わっていくものなんじゃないかと思う。
僕も「幸せとはなんだろう?」となんとなく考えながら生きてきたけれど、わかっているようでわかっていなかったし、世間の常識というものさしで幸せを勘違いしていたというか、多くの人が幸せと感じることが自分が幸せを感じることなんだと思い込んでいた時もあった。
そういうことにようやく気づいてからは「自分の」幸せを自分で探し始めたわけだけれど、結局のところ生きること、もっと現実的なことで言えば「生活する」ということが、今の僕にとっての幸せそのものだと感じている。
とはいえ僕の生活は特別なことをしていないし、人によっては、なんだかつまらなく見えるものかもしれない。地味といえば地味である。
ほぼやることも同じでルーティンになっているから、特に大きな変化もない。
朝は5時に起きて、着替えて布団をたたんで顔を洗ったり、歯を磨いたりトイレに行く。
瞑想(みたいなもの)を軽くやって、コップに白湯を入れてその白湯を飲みながら、のんびりとこのエッセイを書く。
6時くらいになったら、猫にご飯をあげて水をかえる。
僕はというと、朝ご飯を食べないのでラジオ体操をして、仏壇に拝んでから、廊下のモップがけとトイレ掃除をする。
その後は、お湯を沸かしてコーヒーをいれる。
あつあつのコーヒーをゆっくり飲みながら少しぼんやりする。
後はその日の分のラジオをとって、イラストを描いたらエッセイとラジオをアップする。
それから毎日やっている、ひとりごと英会話とティンホイッスルをとってアップする。
それもできたら、これも毎日やっているスクワットを30回ほどやる。
ひと通りいつもやることができたら洗濯をして、洗濯ができたら洗濯物を干す。
僕はお昼ご飯も食べないので、そのかわりに気が向けば、家の外に出て軽く日光浴しながら山とか空を眺める。
後は夕方くらいまで調べ物とか、ブログや本を読んだり、後は英語を聴くために海外の映画やドラマをなんとなく観る。
あと最近は、小屋の片付けをちょこちょことやっている。
夕方には猫をケージから出して遊ばせたら、夜ご飯をあげて、仏壇に今日も無事に過ごせたことを感謝して拝んでから、僕も夜ご飯を食べる。
ご飯を食べたら食器を洗って、歯を磨いてシャワーをする。
それからちょっとのんびりしていると、だいたい寝る時間(9時)になるので寝る。
まあざっくりではあるものの、僕の1日は基本的にこんな感じになっている。
我ながら地味だなあと改めて思うけれど、この淡々とした地味な生活を僕は気に入っているし、幸せを感じながら日々を過ごしている。
そもそも何事もなくこうして生きていることそのものが幸せだし、住む家があるし、今年はかなり暑いけれどありがたいことに部屋にはエアコンがあるし、水も食べ物もある。
好きなことをやれているし、掃除とか片付けも楽しいし、なんというか何か特別なことをやらなくても、生活してることそのものに幸せを感じている。
だから毎日のように布団に入る時は「ああ、今日もいい日だったなあ」と、しみじみ感じながら寝ることができているし、まあ寝ることが1番に好きなのだけれど、幸せというのは特別なことではなくて生きること、生活することそのものなんだと今は感じているし、そう感じられることも幸せなのだなと思っている。
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