これからは、遊ぶように働いて、遊ぶように生きることについて
(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)
年を重ねてきたのもあるし、ここ数年で自分なりにあーだこーだとやってみたり、新しい出会いなどもあって、ようやくではあるけれど
「世界には、いろんな生き方、あるいは働き方があるし、あっていいし、自分もそうやって、自分がやりたい生き方や働き方をすればいいんだ」
ということがわかってきた。
僕は今39だけれど、これからは人生の折り返しのように感じるし、折り返しだとして、あと残りの人生はどのくらいあるかもわからないので、こういったらわがままかもしれないけれど、「自分の好きなように生きる」という経験をしてみたい。
今の僕が、これからやってみたいことは、
「遊ぶように働いて、遊ぶように生きる」
というものである。
「遊ぶように働く、生きる」というと、なんだかふざけているようなイメージかもしれないけれど、僕の感覚としては全く逆で、遊びだからこそ、何よりもまじめに本気で取り組むことだと思っている。
小さい頃にしていた遊び、かくれんぼとかあるいはお絵描き、テレビゲームとかいろいろあるけれど、どれをするにも何よりもまじめに本気でやっていた。
勉強はそんなに好きじゃなかったし、規則正しい生活みたいなのも得意ではなかったけれど、遊ぶことだけは1番まじめに、ちゃんとやっていたことは覚えている。
なんというか、「遊び」という言葉だとなんとなくふざけているというか、ちゃんとやっていないというイメージになるかもしれないけれど、39になった今でもやっぱり楽しいこと、つまり遊ぶことは、何よりもまじめに本気で取り組んでいることは変わっていない。
だから働くということも、生きることも、遊ぶように楽しく、むしろ遊びだからこそ、何よりも気持ちを込めて、まじめに本気でやるということをやってみたい。
まあ、それがどういう働き方になるのか、生き方になるのかは、まだぼんやりとはしているものの、少なくとも誰かにあれやれこれやれと言われて、やりたくもないことをやるということではない。
なんでもそうだけれど、誰かから命令されてしぶしぶやることというのは、楽しくないし、何より気持ちも向かない。
そうなると物事も進まないし、そしてどこか他人事になる。
けれど、自分が「これをやろう」とか「これをやりたい」というふうになると、それが例え誰かのお手伝いであったとしても、自分の事になるというのか能動的に動こうという気持ちになってくる。
これからはそうやって働くことも生きることも、遊びのように、何よりもまじめに気持ちを向けて、楽しみながら人生を過ごしていきたい。
そして働くことも生きることも遊びになってくると、なんというかこれまであった仕事は仕事、生活は生活、遊びは遊びみたいな境界線もなくなって、全てが一緒になるというのか「働く=生活する=遊ぶ」みたいな、そういう生き方ができたら楽しいんじゃないかとなんだかワクワクしている。
だから今の感覚としては、例えば働き方も特にこだわっていないというか、どこかひとつの会社につとめる、みたいな気持ちはもうないし(できないというのもあるけれど)、そういう正職員とかバイトとかパートとかみたいな働き方にすら、こだわらなくてもいいと思っている。
それこそ今日はこれ、明日はこれみたいに、日によってやることが全く違ってもいいし、誰かにお手伝いを頼まれたらそのお手伝いに行ってもいい、そんな自由な働き方ができたら、楽しいだろうなあと思う。
これまでは、どこか自分の人生を誰かが、あるいは何かが決めていて、そのレールに乗っかっていくみたいな感じで来たけれど、これからは自分の人生は自分で選び、自分で決めてつくっていきたい。
なので自分の心の声をちゃんと聞いて、聞かないふりはもうやめて、あとはその心が望む方へ、ちょっとずつ近づいて人生をしっかり遊ぼうと思う。