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シンプルなことに幸せを感じることについて

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


年をある程度は重ねてきたのもあるかもしれないけれど、なんというか特別でない「シンプルなこと」に幸せを感じることができるようにちょっとずつなってきた。

僕が日々を過ごしていて、幸せを感じることはたくさんある。

まず朝起きたらぐっすりと寝られて、今日も起きることができたことに幸せを感じるし、今だと朝起きて窓の外を眺めるとちょうど太陽がのぼってくるのだけれど、太陽を見ることができたこと、今日もいい天気になりそうなことに、幸せを感じる。

いつも通りの何気ない日常を家族と過ごせること、自分のやりたいことができること、人とのつながりがあること、自分を知ってくれている人がいること、朝のコーヒーがおいしいこと、移り変わる季節をちょっとずつ感じられること、心も体も調子がいいこと、ほかほかのご飯を食べられること、たまにはお風呂にゆっくり入ってポカポカしたまま布団に入り、今日もこうして何事もなく布団に入ってゆっくり寝られることを感じて寝ることなどなどたくさんある。

何か特別なことがないと、特別なことをしないと、幸せを感じられないということもあったけれど、今は逆に特別でもないことにこそ幸せがたくさんあるし、僕はただそこに気づかないで生きていただけだったんだ、ということに気づいた。

人間の欲望、それは僕も含めてだけどキリがないというか、どこまでも「もっともっと」と求めてしまうし、それではいつまで経っても幸せを感じられないどころか遠ざかってしまう。

もっともっとと追いかける足を休めて、「今ここ」の自分が生きている世界というのか環境にじっくりと目を向けてみると、自分はとても恵まれた環境で生きている、生活できていることがわかるし、特別な贅沢をしなくても、十分に幸せを感じることができる。

シンプルなことに幸せを感じることができるようになると、人生もシンプルになっていくし、足るを知るというのか、ちょっとしたことで満足できる、満たされているなあと、感じられるようになる。

とはいえ何事もバランスというのか、あんまり生活をミニマムにし過ぎても、それはそれでストレスを感じるようになってしまうだろうから、自分が心地よいなあ、幸せだなあと感じるサイズ感というのかポイントを知っておくということは、大事かなと思う。

あとは世間一般的な価値観というのか、こうすることが幸せみたいなものと、自分が幸せに感じるものを比べないことである。

というか人それぞれ幸せを感じるポイントは違うし、違っていいと思うから、そもそも比べる必要なんてないし、世間一般的な幸せとはこういうものとか関係なく「自分がどういうことに幸せを感じるか?」ということに日々向き合うことが自分の幸せを見つける近道になる。

なので、僕が幸せを感じることに人は幸せを感じられないかもしれないし、「そんな小さなことで幸せを感じられるの?」と思われるかもしれない。

けれど、それは全くかまわないというのか、自分がどういうことに幸せを感じるのかちゃんとわかっていて、幸せを感じながら生きていければ十分なので、例え世間と幸せのものさし、基準が違っていても問題はない。

そもそも、こうしてのほほんと生きていられるだけでかなりラッキーだと思うし、住む場所があって、家族がいて、ご飯が食べられているわけだから、その幸せに感謝して日々を過ごしていきたい。

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ささきたけよし
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