生きることは自分が思っている以上にとてもとてもシンプルなことなのかもしれないことについて
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最近、生きるということは、自分が思っている以上に実はシンプルなことなんじゃないかとふと感じた。
僕は(一応)人間ではあるけれど、一緒に住んでいる猫やハムスター、それにインコと同じ「生き物」である。
だから極端な話、彼や彼女たちと同じように、住む場所があって、飲み物と食べ物があって、トイレがあって、安心してぐっすりと寝ることができれば、まあなんとか生きていけるんじゃないかと思う。
人間の場合は、服を着るし、なんだろう外に出て、あるいは社会に出て人に会ったり、いろいろな活動があるものだから、お風呂に入って頭や体を洗ったり、洗濯をしたり髭を剃ったり、髪を整えたりとなんやかんやとやることがある。
とはいえ、多分だけど頭や体を毎日のように洗わなかったとしても生きてはいけるのだろうし、洗濯を毎日のようにしなくても、これもまた生きていけるんだと思う。
まあとても極端な話ではあるし、僕も毎日シャワーをして洗濯をするわけだけれど、なんというのか、これまでの「普通はこういうもの」という、世間とか社会の「常識」みたいなものによって、自分がどうかではなく「みんなそうしているから」ということでやっていることは、たくさんあるんじゃないかということに気づいた。
そしてそういう「みんなそうしているから」「そういうものだから」という理由でやっているたくさんのあれこれが、人生あるいは生きることをなんだか複雑にしているようにも感じる。
僕は生まれて物心ついてから30代の前半くらいまで、何も考えて生きてこなかったというのか(まあ今でもそうかもしれないけれど)、世間や社会の常識とか「これが普通」とか「そういうもの」というのを全く疑ってこなかったし、言う通りにしていたというのか「そういうものなんだな」と思って生きてきた。
なんというかその頃の自分は、生きることそのものがものすごく複雑で、ごちゃごちゃしたものになっていたし、生きることってキツイなあとばかり感じて生きていた。
そのうち自分でも思いがけずメンタルの調子を大きく崩したわけだけれど、その頃から「あれ?なんかおかしいなあ」という違和感みたいなものを感じるようになった。
それはもしかしたら自分の心の声、あるいは直感だったのかもしれないけれど、その時から、世間や社会の常識よりも「自分の心の声」をちょっとずつ聞くようになってあれこれ行動するようになった。
そしてそれが5年ほど続いて、今という感じであるけれど、今の僕の人生、生きることはとてもとてもシンプルになったし「なあんだ、生きることってこのくらいシンプルでよかったんだ」と心から理解したというのか、気づくことができた。
確かに世間、社会の常識、「みんなそうしていること」に「そうかな?」と疑問を感じて、別の道を進むというのは不安になることもある。
まあ僕の場合は、ほぼ強制的にルートを外れたわけだけれど、今思えばそうやって目の前に道も何もない場所を、あーでもないこーでもないと探り探りちょっとずつ自分の足で進んで道をつくってきてよかったなと心から感じている。
今の自分は生きることに迷いがないというのか、そもそもシンプルなのだから、迷いようがないのかもしれないけれど、それくらい心が雲ひとつない青空みたいにスッキリとして気持ちが良い。
「自分がどう生きるか?」という答えは、そもそも自分の心、魂がようくわかっているし、あとは自分の心の声にただ素直になるだけ、そのくらい生きることってとてもとてもシンプルでいいのだと思うし、その方が楽しいと心から感じている。