「自分のためだけにお金を使う」という旅のゴールについて
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最近になってふと、「ああ、これからは自分のためだけにお金を使うということは、もうほとんどないのだろうな」となんとなく思った(まあリュック買ったけど)。
これがもうちょっと前の自分だったら「ウソをつくな!」と言うだろうけれど、今の自分はというと、自分のためにお金を使うところがもう、さっぱり浮かんでこない。
まあ生活するために最低限に必要なお金というのは、多少はあるかもしれないけれど、それでも自分のためだけに使うお金というのは、だいぶ少なくなったように感じる。
39年ほど生きてきて、こういう感覚は初めてだし、なんとなくではあるけれど、およそ人生の半分くらい続いた「自分のためだけにお金を使う」という旅のようなものはゴールにたどり着いた、なんとも変な例えではあるけれど、そんな気がしている。
それこそ、これまでを振り返ってみると、自分のためだけにお金を使ってきた人生だったように思う。
自分が稼いだお金は、自分が欲しいものを買うためだけに使う、そればかりやっていたし、誰かのために、何かのためにお金を使おうなんて、これっぽっちも考えていなかった。
我ながら、なんともどうしようもないやつだなあと思うけれど、それはやっぱり自分がどう生きたいのかとか、どんなことに幸せを感じるのかということがちゃんとわかっていなかったからだと今ならわかる。
そのころは、とにかくお金をたくさん使って欲しいモノを手に入れれば幸せになれると思い込んでいた。
けれども、どんなにお金を使ってモノを買って手に入れても、「ああ、幸せだなあ」と心から感じたことはなかった。
逆にモノを買うためにお金をたくさん使って、そのお金がなくなっていって、またお金を稼ぐためだけに、やりたくもないことをやらなくちゃいけないという不安の方が大きかった。
そして、その不安をごまかすために、また何か欲しいモノ、欲しいと思い込んでしまっているモノを、お金もないのに買ったりして、どんどんよくないループにはまっていた。
今の僕は、正直そのモノを買うためにお金を使ってお金がない時よりもさらにお金がないのだけれど、それでもその頃に比べても何十倍、何百倍も幸せを感じて生きている。
持っているモノだって、それこそ手放しまくってことあるたびにちょこちょこと整理しているから、今は人生で1番にモノが少ないけれど、人生で1番に今が幸せである。
なんというか「自分の幸せには、たくさんのモノとお金は全く必要ない」ということがはっきりとわかると、もう幸せでしかないし、あまり不安とか悩みとかも感じなくなる。
今思うのは、人生には間違いなくゴールがあるわけで、そのゴールに着くまでは、世間とか常識なんて気にせず、ただ「今ここ」を心穏やかに、心地よく生きていけばいいということである。
人生、というと大げさだけれど、それは生まれてからこの世界から旅立つ時までの「今ここ」という瞬間の連続の積み重ねであり、それが何十年になると、なんだか立派なもののように見えるという、ただそれだけのことなんじゃないかと僕は思う。
そして僕はこれからも、きっと何か物凄いことをやるわけでもなく、特に有名になるわけでもなく「ただの普通のひと」として、淡々とコツコツと生きていくのだろう。
そして自分のためだけにお金を使わず、モノも増やさず生き方はシンプルにして、お金はそもそもあまり持っていないかもしれないけれど、人のためとか何かのために使って生きていくような気がするし、きっとそういう生き方の方が、楽しくて幸せなんじゃないかと感じている。
だからもし人生がもう半分くらいあるのだとしたら、これからは「お金は自分が大事だと思う人のため、何かのために使う」という新しい旅にしていきたいと思う。