人生に意味や目的はあってもなくてもいいと思うことについて
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タイトルにある通りなのだけれど、今のところ、僕は人生に意味とか目的はあってもいいし、なくてもいいと思っている。
もうちょっと若い頃は「人生の意味ってなんだろう?」とか「何のために生きているんだろう?」と考えていた時もあったし、何というかそういう人生に意味とか目的がない自分は、ダメなんじゃないかと、悩むほどではないけれど気にしていた。
とはいえ「人生の意味って何だろうなー」「何のために生きているんだろうなー」と、ときどき思い出しては日々を過ごしているうちに、「別に人生の意味が今なくても、目的がなくてもいいんじゃないか、あるから良い、ないからダメってこともないんじゃないか」と思うようになった。
人生の意味を知らなくても、目的を持っていなくても今こうして生きているし、つまらないどころかとても楽しいわけで、だったら焦って人生の意味とか目的を探して、人と比べて落ち込むんではなくて、「あってもなくてもどっちでもいいか〜」くらいの気持ちで軽ーく生きていた方が日々を穏やかに過ごせるんじゃないかと感じるようになった。
たとえ今、人生の意味がよくわからなくても、何か生きる目的が見つからない、あるいはわからないとしても、とりあえずは「今ここ」に気持ちを向けて自分の心がどう生きたいのかに耳を傾けて、その声に素直になって生きていけばそれで十分じゃないかという気持ちでいる。
そうやっていくうちにもしかしたら「ああ、自分にとっての人生の意味ってこういうことなのかも」とか「おお、これが自分の人生の目的かな?」みたいなものが見えてくるかもしれないし、仮に見えてこなかったとしても、日々を淡々と心穏やかに感謝をしながら、楽しく幸せを感じて生きることはできる。
そして人生の意味や目的がしっかりある人がすごいとか、人生の意味や目的がよくわからないからダメだなんてことはなくて、自分が人生の意味とか目的が欲しいなら探してもいいだろうし、「まあなくてもいいか〜」と思うならそれはそれで全く問題ないんじゃないかと思う。
結局は自分の人生は誰かに評価されるものではなく、常識とか普通とか価値観を押しつけられる必要もなく、「自分がどうありたいか」が全てだと思うから、僕としてはやることはシンプルで「今ここの自分を生きる」「100%の自分になる」ということになる。
そして意外とそうやって今ここに気持ちを向けたり、100%の自分だったらどう生きるだろうな?とか意識しながら日々を過ごしていくうちに、気づいたら人生の意味とか目的みたいなものは、そばにあるんじゃないかという気がしている。
なんというか、うまく言葉にできないのだけれど、「自分がちゃんと自分にしっくりくる生き方」みたいなのができてきたら、人生の意味だったり目的みたいなものは見えてくるというのか、もしかしたら忘れているだけで「思い出す」ということなのかもしれないけれど、そこはあまりマジメに考えすぎずに「あってもなくても大丈夫」という気持ちで気楽にかまえすぎないで、日々を過ごしていきたい。