空っぽになる時間をつくることについて
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今の自分は去年くらいの自分から比べてもだいぶ外に出るようになったし、いろんなところへ行くようになったし、人に会うようにもなった。
なのでたいてい毎週のように何かしらのイベントに参加したり、どこかに出かけたりしている日々のように感じるし、そういう日々を過ごすのを楽しいと思えるようになったし、ありがたいことだなあと感じている。
ただ、たまに自分のキャパを超えそうになる時があって、まあ、自分でやりたくてやっているのだけれど、時間や心にスペースがなくなってくるとやっぱり疲れてくるし、自分のリズムを崩してしまうようにも思う時がある。
なので時折、意識的に空っぽになる時間をつくるようにしている、というよりもそうやって調子が狂ってくると自分の心と体がわかるのか、なんにもしないでぼーっとするようになる(いつもぼーっとはしているけれど)。
この前もなんだろう、やる気がないとかそういうことでなくて(やる気はそもそもない)いつものルーティンをやった後は、何かしようという気にもならなくて、1日ぼんやりして何か飲んだり、本をパラパラとめくるくらいで、これといって何もしない時間を過ごした。
「何にもしない自分」というのを認められる、受け入れられるようになると、だいぶ生きるのがラクになってくるし、僕もちょっとずつそうやって「何もしない自分」に自分でOKを出せるようになってきた。
そして何にもしない時間というのは、僕からしたら決して無駄な時間ではなくて、心と体のメンテナンスをする、むしろ重要な時間じゃないかと思っている。
今はなんというか、「どれだけ時間を有効活用するか?」が重要に思われている世界に感じるのだけれど、僕からしたら「ちゃんと何にもしない時間をつくる」ことの方が、よっぽど大事なことだと感じる。
やっぱり何事もバランスというのか、もちろん楽しいからいろんなことをやって、いろんなところに行って、いろんな人に会っているわけだけれど、ずっとそればっかりだと心と体もキャパオーバーして疲れてくるし、ひと休みして時間や心のスペースをつくることも必要なことだということが体感としてわかってきた。
まあ、これまでほぼ引きこもっていたというのか、外に出るということがほぼなくて、家でひとりあーでもない、こーでもないと試行錯誤していたというのか、もがいていた。
そして、そのずっと家にこもっていた反動でもないけれどこの1年くらいで同じ自分か?というくらいに外に出るようになり、遠出もめんどくさいと感じなくなり、人見知りではあるけれど、人にもどんどん会うようになったし、そうすることで人生がかなり面白くなってきていることは確かである。
だからこれからも心が「あ、これだ!」と感じたことはすぐにやるだろうし、「行きたい!」と感じたところにも行くだろうし、「会いたい!」と感じた人にも会いに行くことは変わらない。
それと同時に、自分の心と体とも相談してバランスをとりながら、時には空っぽになる時間をつくって、あせらずのんびりと楽しく生きていきたい。