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エコあるいはサステイナブルな生活について(その3)

(※今日の内容を音声で楽しみたい方はコチラからどうぞ(^^)↓)


いつまで続くのかは自分でもさっぱりわからない、エコあるいはサステイナブルな生活についてシリーズの3回目。

「生活をできるだけシンプルにしていきたい」というところから始まった、僕のエコ、サステイナブルな生活への道のりは、まず「自分の持ち物を徹底的に見直して、手放す」そして「必要な分を持ち、できるだけ長く使う」というステップへと進んだ。

その時はなんというか、ランナーズハイでもないけれど、「手放ーすハイ」みたいな感じになっていて(どんな感じだ)あれもこれも手放そう、みたいになって、生活をかなりミニマムにしていった記憶があるし、家族にもまあまあ迷惑をかけたような気もする。

とはいえ徹底的に自分のモノと向き合って、手放してみることで、ひとつのラインがわかるようになったというのか、ここまではいいけれど、これ以上のモノを手放すと今度は生活が楽しくなくなるというポイントみたいなものが、実際にモノを思いっきり手放して、ほとんどないくらいにやってみることで体感としてわかったからよかったし、いい経験になったと思う。

そうやって、まずは自分の持ち物を徹底的に見直してみることで、どのくらいのモノがあれば、自分は幸せを感じながら生活を楽しくできるのかがちょっとずつ見えてきた。

それからは基本的に何かを買うとなる時は、それが自分にとっては「投資」になるのか「消費」なのか「浪費」なのかを意識するようになって、なんとなくモノを買うということを、ちょっとずつではあるけれどしなくなった。

なんとなく「欲しいなあ」でモノを買ってしまうと、またあっという間に自分の持ち物が増えてしまうわけで、なんとなくで買わないために、これも本で読んだか何かで得た知識で、自分の買い物は、「投資」か「消費」か「浪費」かで基本的に考えるようになった。

例えば「投資」なら僕の場合でいうと、自分にない知識とかスキル、あるいは経験を手に入れるためにたいてい本とか何かするための道具とか、イベントなどに使うことになる。

「消費」というのは、たいてい食べ物とか日用品などで、僕の場合は食べ物は自分であまり買うことはないから、コーヒーを買うくらいで、あとは日用品なら洗濯洗剤とかトイレットペーパーとか今のところ生活していく上で必要なものプラス、必要ではないかもしれないけれど、あると生活にちょっとした幸せを感じられるもの(僕で言えばコーヒーとせんべい、まんじゅう)は「消費」のカテゴリーに入る。

そして「浪費」はなんとなくとか、暇つぶしのためとか、特にこれといった理由とか目的もなく使うもので、自分にとって知識とかスキルとか経験として積み上がらないもの、そして生活していくためにも必要ではないし、ちょっとした幸せを感じるというよりは、後になって「なんでこれを買ったんだろう?」とか「なんでこれにお金を使ったんだろう?」みたいな気持ちになりそうなものは「浪費」としている。

こうして買い物とかお金を使う場面で「投資」か「消費」か「浪費」か?というのを、ちょっとでも意識していると、余計なモノをなんとなくで買うということもほとんどしなくなってきたし、買い物にしてもお金の使い方にしても昔よりかなりシンプルになってきた。

そうやって、自分の持ち物を徹底的に見直して整理した後は「自分の買い物、お金の使い方を見直してみる」ということをすることで、いらないモノをあまり買わないようになった。

そして、お金を形のあるモノというよりは、形のないモノ、知識とかスキルとか経験とかに多く使うようになったし、あとは友だちのサービスを使うとか友だちが売っている商品を買うとか、クラファンで応援するとかそういうお金の使い方もだいぶ変わってきたし、シンプルになって、そういうお金の使い方が、今になってお金あるいは豊かさのいい流れ、循環をつくってきているようにも感じる。

なんというか、書きながらエコやサステイナブルに関係しているのかどうかがわからなくなってきたけれど、僕としてはそういうモノの買い方、お金の使い方も、エコやサステイナブルな生活においては重要だと思っているので、今回はこんな感じで多分、また次回へと続きます。


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