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オルタナティブであることについて

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オルタナティブという言葉があるけれど、英語で「代わりの」「主流の方法に取って代わる新しいもの」というような意味があって、投資とか教育とか音楽といったジャンルで使われている言葉らしい。

僕は音楽をいろいろと聴くので「オルタナティブミュージック」という言葉は目にしたことがあって、まあオルタナティブミュージックの意味はよくわかっていないけれど、そういうジャンルの音楽はよく聴いていたし、今も聴いている。

オルタナティブが、主流や伝統に取って代わるものだとして、僕は小さい頃から大人と言われる年齢になった今でもずっと、自分は主流からは外れているというか、主流にどうしても馴染めない、入れないと感じて生きてきた。

いわゆる「これが普通」とか「常識」とか「一般的」とかそういうものってあると思うのだけれど、小さい頃、自分が自分だとわかる、自分と外との境界線がわかるようになってから「生きにくさ」みたいなものだったり、大多数のメインストリームにどうしても馴染めず、入り込めない自分がいることにも気づいた。

僕は田舎の生まれ田舎の育ちなので、そういう田舎特有の感じというのか、小さなコミュニティにある、よく言えば距離が近い付き合いというのかそういうのもあんまり得意ではなかったし、そのコミュニティの大多数の人が思う普通が普通であるべきというのか、うまく説明できないのだけれど、もしかしたら小さい頃から僕が変わり者だっただけなのかもしれないけれど、そういう大人たちの「こうあるべき」「こうでないといけない」「これが普通」、という空気というのか、圧みたいなものに息苦しさを感じていた。

僕はメインストリームか、あるいはオルタナティブか?でいったら使い方が正しいのかはわからないけれど、間違いなく、ごくごく少数のオルタナティブに入ると思う。

小さいながらずっと心のどこかでこの世界の常識とか普通、こうあるべきに疑問を感じていたし、息苦しさを感じていたし、生きにくかった。

そしてそうやって生きていくうちに、いつの間にか「世界は変えられないし、その世界にもハマれない自分が変わり者なら、変わり者で生きていけばいいや」と開き直るようになった。

それが決定的になったのは、会社で働いていてメンタルを壊した時だった。

自分がメンタルを壊したということに気づくまで、僕はそういうメンタルの調子を崩すという経験が全くなかったので、どこか他人事としていた。

そして、就職して週5で朝早くから夜遅くまでやりたくもないことを、お金のために自分の時間を使うということを「それが普通なんだ」「みんなそうしているんだ」と言い聞かせながら働いているうちに、自分が全く合わないメインストリームにいることの限界が来たのだと思い知った。

もちろん、メインストリームで楽しく働いてお金を稼いで生きている人だってたくさんいると思うし、そっちの方が大多数だろう。

僕もそっちの方だと思っていた、というか「そっちにいないといけない」のだと社会に出てからは思い込むようになって、自分をごまかし、だまし、嘘をついていたツケが回ってきたのだと、そして同時に自分が自分に「これ以上あなたは先に進んではいけない」と教えてくれたのだとも感じた。

そこから数年、道がないところを転げながら、すり傷つくりながら「それでもこっちがいい」と進んできたし、それは今でも続いている。

しばらくひとりで歩いていたけれど、ありがたいことに同じように自分の道をつくっている仲間に出会えたし、「ひとりでいいや」と思っていたけれど「ひとりじゃない」という安心感、嬉しさを感じている自分がいることにも初めて気づいた。

僕の生き方が「主流の方法に取って代わる新しいもの」になるとは全く思わないけれど、それでもやっぱりこれからも自分はオルタナティブでありたいし、過去の生きるのがしんどかった自分に光を見せる存在でありたい。



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