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自分はどう生きるのかについて

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これからどう生きていきたいか、なんだか大げさではあるけれど、暇さえあればそういうことを考える自分に気がつく。

なんというか、まあ人生の目標みたいなものはなくても生きてはいけるのだと思うし、これといって何かなりたいものもなければ、成し遂げたいことみたいなものもない。

それは今に始まったことではなく、小さいころからずっとそうだったように思う。

小さいころは「大きくなったら何になりたいか?」をまわりから聞かれたり、保育園とかあるいは小学校で文章として書いたり、絵に描いたりした記憶がある。

でも今思うと、結局その時の「何になりたい?」というのは「大人になってどんな職業に就きたいか?」ということだったのだろうし、そのころから「大人になったら就職するもの」という、ある種のインプットをされていたようにも感じる。

まあ僕が変に考えすぎなのだろうけれど(きっとそうだ)生まれてからのやることというのか、ルートみたいなものは、ある程度は決まっていたように感じていた。

生まれてちょっとしたら保育園に行って、学校に行って、学校を出たらあとは就職して、定年があればそれまで働いて、その後は人それぞれの生き方をするという感じが全てそうではないにせよ、自分のまわりの人間を見ていると人生とはなんとなくそういうものなんだと子どもながらに思っていた。

とはいえ、僕には何かなりたいものも、やりたい職業みたいなものも特になかった。

いわゆる「夢」みたいなものがないというのか、「大きくなったらこういうことをやってみたい!こういうふうになりたい!」みたいな強い気持ちがなかった。

まあ、僕がたまたまそういう人間だったということなのだろうけれど、それは小さいころから現在まで変わっていないことでもある。

さらに今でいうと、欲しいものも特になく、お金も同じで、たくさん欲しい気持ちにもならないし、食事も1日1食くらいで十分だと、そもそもお金がそんなに必要なくなってくる。

そうなると学校を出てから、残りの人生のほとんどの時間を使う「就職して働いてお金を稼ぐ」ということに、言い方はよくないかもしれないけれど、興味が持てなくなってくる。

正直にいって、学校を出てからいろいろな仕事をしてきたけれど、楽しいなあと感じて仕事をしたことは、ほぼないといっていい。

じゃあそれでもなぜ働くのかというと、「みんなそうしているから」「お金を稼がないといけないから」「そういうものだから」みたいな意識でいたし、自分が働きたいからという能動的な理由ではなかった。

けれど、ややこしいかもしれないけれど、働きたくないということではなくて、

「お金を稼ぐということだけのために、やりたくもないことをやりたくないし、自分の時間を使いたくない」

という気持ちである。

まあ、普通に働いている人からすれば、それはわがままにすぎないのだと思うし、僕もそう思う。

けれど、残りの人生がどのくらいあるかはわからないけれど、「人生=お金を稼ぐ」ということにはしたくない。

そして「人生=お金=幸せ」というふうにもしたくないし、今の僕は、お金をそんなに使わなくても幸せを感じられている。

なんというか、いろんな物事を手放してみたら、「じゃあ僕はこれからどう生きるんだ?」という問いが浮かんできて、今その問いと向き合っているところである。

答えは出るのかも、出ないのかもわからない。

けれど、僕は他の誰でもない自分の残りの人生を、これからどう生きるかについて、ちゃんと向き合っていきたいことは確かである。



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ささきたけよし
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