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「どっちでもいい」という自由な感覚について

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日々を過ごしているとまあいろいろとあって、それでもできるだけいつも気持ちは心穏やかでありたいと思っているのだけれど、昔に比べるとだいぶ生きやすくなったというのか、心にストレスというのか負荷をあまり感じなくなったし、感じたとしても、自分でリカバーできるようになってきた。

これは決して僕のメンタルがタフになったとかそういうことはなくて、しなやかになったというのか、柔らかくなったと言った方がしっくりくるように感じる。

強い向かい風が吹いても、これまではそれに逆らって、反抗して、耐えてそれでボッキリと心が折れたこともあった。

けれど今は風が強く吹いてきても、そのまま抵抗することなくしなやかに風が吹くままにというのか、無理をしなくなったらいつか風も落ち着くということもわかったし、だいぶ気持ちもラクになったし心のダメージも小さくなった。

そうやって自分なりに自分を守るというのか、自分の心を守るすべを身につけてきたわけだけれど、それに加えて年を重ねたせいもあってか、若い頃にあったこだわりみたいなものを手放すようになってきた。

これまでは、こうでないといけないというのか、こっちじゃないといけないというのか、こっちが正しいみたいな気持ちが強かったけれど、今は「まあ、どっちでもいいか」と思うことが多くなってきた。

自分が正しいと思ってしまうと、そうじゃない周りを否定的に見てしまうことになるし、イライラしたり、自分の正しさばかり言いたくなるような時もあった。

けれど、それだと自分の心はずっとモヤモヤしたままだし、落ち着かないしことあるたびにイライラしたり、他人を否定して生きる時間が多くなってしまうことに気づいた。

そもそも人の数だけ考え方もあるし、自分と違うからって否定的に見るのではなく、「ああ、僕はこういう考え方だけど、そういう考え方もあるのかあ」くらいに思えると、だいぶ心がすり減ることもなくなってきた。

心に余裕ができると、物事をちょっと俯瞰して見れるようになるというのか、目の前のことにいちいち反応して落ち込んだりイラついたり、モヤモヤしたりということもゼロではないけれど、「まあ、いいか」と済ませることができるようになってきた。

やっぱり心が不安定だと何をやっていても落ち着かないというのか、まあ不安定が普通であるから、ゆらゆらと揺れることは問題ないのだけれど、変に抵抗するとさらに揺れてくるし、その抵抗は「こっちが正しい」みたいな、一択しかない心の状況がそうさせているかもしれないと感じている。

「どっちでもいい」「どっちでも選べる」という自由な感覚というか余裕があることで、変にどっちかに偏らずに中庸でいられるというのか、ニュートラルな感覚でいられるし、そういうニュートラルな状態が自然というのか心も穏やかでいられるのだと思う。

まあいつもいつもそうはいかないかもしれないけれど、「どっちでもいい」という感覚を持ちながら、心はできるだけニュートラルに軽く、自由でありたい。



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