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必殺技:今は考えないの術

こんにちは、どうも、ぺりかんです。
今日はみなさんに、ぼくの得意技・必殺技を伝授します。
この技があれば、noteを書くことも、これからの人生をより気楽に生きることも、ぐっと簡単になるでしょう(?)



「今は考えないことにする」

鋭いお方はお気づきですよね。これは先送りとも言います
タイトルではそれが「思考の彫刻」につながるという、ずいぶん格好つけた書き方をしていますが、内実はただの先送りです。

ただ、今日はこの先送りに少しだけ意味づけをしてみましょう。

noteを書いているとき、自分で自分の文章に矛盾を感じたり、「あれ、この文章おかしいかも・・・?」「誰かにここつっこまれらどうしよう」なんて思ったことはありませんか?

ぼくは、しょっちゅうです。自分の発言に対して誰よりも自分が一番にツッコミをいれてしまいます。文章を書いていると、「じゃあ○○はどうなんだ」「その書き方は厳密じゃないだろ」なんて頭の中がうるさいので、それはそれは執筆が進みません。それどころか、誰かと話しているときもそうなので、リアクションが遅くなることもしばしばです。

それでは、どう対処したらよいのか。
そうしたぐちゃぐちゃした頭の中を必死に整理して、時間をかけて文章を書いているのかと言われると、実はそうではありません。
ぼくが一本のnoteに書ける時間はせいぜい20分ほどです。

それは、「今は考えないの術」を発動するからです。
ツッコミどころがみつかったら、すぐに発動。noteの文章に、「この点については今は考えないことにする」と書いてしまうのです。じゃあ後で考えているのかと言われると、じつは考えていないことがほとんどだったりします。

思考の彫刻:方法論的先送り

面倒くさい問題を「今は考えない」ことにすれば、逆に今考えるべき問題が浮かび上がってきます。だいたいのところ、思考というのはモヤモヤしていて、おおざっぱで、形として示すならば粗削りなものです。磨かれていない原石と同じで、余分なものが真に大切な部分を覆い隠してしまっている、そんなイメージでしょうか。

それをそのまま文字にしようとしたり、考察しようとしたりしても、モヤモヤした結果に終わりかねません。その荒削りの思考をどんどん削り落とさなければ、鋭く、明確な思考にはたどり着かないということです。「あなただから削り出せたその宝石」、それが良い思考なのだと思われます。

書くことも彫刻作業だ

書くことは、じつはもっとも簡単な彫刻作業のひとつだったりします。
この話は余計だな、この点はもう少し書いた方がよいなと、書いているうちに自分で気づいていくはずです。ゆえに、書きながら悩んでしまうことや、書いたり消したりを繰り返したりしてしまうことは、決して悪い事ではありません。それは「あなただけの形」に至るための大切な彫刻作業となっているのですから。

ぼくは、文章(論文)を書くときにそうした試行錯誤はあまりしません。というのもこれは書き方の癖のようなものだと思うのですが、ぼくの場合は書く前に全体の構成をしっかりと固めてしまいます。逆に言えば、ドラフトが納得いく形で固まらないと、ぼくは文章を書くことができません。空き時間でこまごま、文章を部分部分書くことができる人がうらやましいと思っています(そして研究者として大学に就職したら、きっとその能力を嫌でも身につけなければならないのだろうと‥‥いまから恐れをなしています)

なので僕の場合は、書く前に、頭の中でどんどん原石を削ってしまいます。削りに削り、これより小さくならないという納得のいく形を削り出すことができて、やっと書き出す。それでも書いているうちに、「あ、ここは説明が足りない」「ここは突っ込まれそう」という部分は出てくるので、「今は考えないの術」発動というわけです。

noteも、基本的には1本につき1つの話題

この点でいえば、学術的な論文と同じです。1論文1テーゼ。
もちろん、だらだらと、何も考えずに言葉を打ち出していくnoteもそれはそれで味がありますよね。味があるというのはまさにそうで、いろんなことが書かれているので色んな味わいがあります。

他方で、「ひとつのnoteでひとつのことを書く」という点が意識されたnoteもたくさん存在しているようです。それらは、たくさんの味わいがあるというよりも、一つの味をしっかりと読者に楽しませてくれるようなものになっています。個人的には、ぼくはそういった文章をnoteでも書いていきたいと思っている次第です。

そういうときに、「今は考えないの術」は非常に役に立つわけです。
「今回のnoteで伝えたいのはこれ!」と的を絞っても、途中途中で浮かび上がるツッコミどころや疑問点にいちいち丁寧に言葉を紡いでいたら、本当に伝えたいことがぼやけてしまいます。

「今は考えないの術」は、書き手が伝えたいポイントを強調するように働いてくれるので、じつは読み手にとってもありがたいものだったりします。ぼくのように細かいところに毎回立ち止まってしまうような「めんどくさい読者」はなおさら、「これは今は考えない!」と宣言してもらうことで「あ、今ここについては考えなくてよいのですね、了解りょうかい」と思うことができます。


人生にも「今は考えないの術」は使える

ぼく個人は使いまくりです。
非常に生き辛い世の中だと感じています。あらゆることを考えて、神経を尖らせていなければどこかで後れを取ってしまったり、流されてしまったりしかねない、非常に慌ただしい世の中だと思います。

「遅れずについていく」ことは確かに大事ですが、そればっかりでは疲れます。ぼくは体力がないので(研究に一番大事なのは体力なのだ‥‥)、楽をしなければスタミナが続きません。考えなければならない問題はつねに舞い込んでくるし、そこらじゅうに溢れかえっていますが、毎回考えてられません。自分が考えていたい問題を自分のペースで考えていたいものです。「今は考えないの術」は、そのために必須の技ということになるでしょう。

執筆においては、書き手もスムーズに書けるし、読み手もスムーズに読めるようになる「今は考えないの術」。処世術的にも、役に立つ。素晴らしいですねぇ。

問題ももちろんある。でもそれについては今は考えないことにする


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