惰性化がもたらす恐怖
ヤツに遭遇した。
年に数度、突然あらわれて我々の日常を脅かす、ヤツである。
今日のヤツは、コンビニで買い物中に突然あらわれた。
晩飯のため、商品の寿司と唐揚げ、ペットボトルのお茶を持ってレジに並び順番を待つ。
わたしの番がやってきて、レジカウンター越しに商品を手渡す。
店員「レジ袋お付けしますかぁ?」
わたし「お願いします」
無言でバーコードを読み取る店員。
今にして思えば、この時点でわたしは違和感に気づくべきだった。いや、気づいたとてヤツの出現には、我々はなす術もなかったのかもしれない…
店員「お会計982円です」
一瞬の間をおいて、店員が言葉を継ぐ。
「あ…レジ袋はお付けしますかぁ?」
あああああ出たあああああああああーーーあああああーーーqーあ
さっき言ったじゃん。さっきってか、5秒くらい前だよね?
わずか数秒前の会話がまるで存在しなかったかのように、全く同じ言葉が再び交わされることとなった。きっと店員の脳内では、文字通り「存在しなかった」ことになっているのだろう。
確かに交わされたはずの言葉、その事実は、脳のバグか心理の倒錯によるものなのか、突如あらわれた世界の亀裂から、その暗闇に吸い込まれてしまったかのようだ。
ほんの数秒から十数秒の間に、人間の記憶は失われ、書き換えられてしまうということを、わたしはなにか恐ろしい事実のように思う。
とまれ、わたしが年に数度あらわれると思っているこの現象は、店員にとっては日常茶飯事なのかもしれない。
レジ打ち、客との会話が何万回も繰り返される日常だからこそ、このような奇妙な事態が訪れるのだろう。
「異化остранение」は、簡単に言えば、惰性・ルーティに陥った日常の所作や習慣を非日常的な目線で眺めたり、特異なふるまいを織り交ぜることで、その惰性を打破しようとする試みである。
たとえば先の店員が
「よし、今日はコールドストーン風に接客しようかな。いらっしゃいませ!If you're happy and you know it, Clap your hands👏🎵お箸はお付けしますか?Would you like some chopsticks and bag?🎵」とか、毎日テンションを変えて接客をしていたとする。
そうであったならば、先のような現象が起こる確率は、極端に減るような気がしないだろうか?
店員はたぶんその場でクビになるだろうが、日常生活を非日常的な所作によって再現することで、「聞いたことすら忘れてもう一度同じことを聞く」という、惰性の極致のような事態は免れるだろう。
異化は日常のルーティン化・惰性化を打ち破り、その場所・そのとき・そのものに向き合うための方法論になりうる。
そんなことを考えながら、わたしは買ってきた寿司を頬張る。
…あ、この寿司、イカが入ってない。
今日の動画:コールドストーン(行ったことない)
今日の本:確かこの本に異化の分かりやすい説明があった気がする。