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なぜ「リベラル派」「リベラル思想」は衰退しているのか? 禁欲と道徳をとく中世カトリック化しているからでは無いかと

ウクライナ戦争、パレスチナ戦争、シリア内戦、トランプの当選と、世界は一見、アウトオブコントロール(制御不可能)に向かっていると思います。
しかし一方で、リベラル派にはそれを止める力はありません。
SNSではむしろ「リベラルや左翼は敵」という感情は日に日に高まっているのです。

リベラル派やリベラル思想にもう多くの人が信頼を置いていないと思います。
日本国民のうち、リベラル派は僅か20%程度だとも言われています。

これを多いとみるか、少ないと見るかは人それぞれですが、私は1億人の20%は決して少なくないと思います。
そして、夫婦別姓や女系天皇、同性婚(orシビルユニオン)など個別の問題では、賛成派も多いと思います。(私も夫婦別姓や移民は賛成です)

しかし一方で立憲民主党やれいわ新選組、社民党などはそれほど伸びていません。国民民主党が躍進したのとは対照的です。
維新も前回の衆議院選挙では議席を減らしましたが、中期的には若者層から支持は強いですし、伸びています。


①60年代や70年代の左翼は「解放」「脱道徳」を説いていた

1960年代や70年代の左翼は「脱道徳」を説いていました。
具体的に言うと、麻薬などの薬物の解禁、処女性を守るのは古い考えだ(婚前性交渉の推進)、不倫や浮気しても個人の自由だ(婚外性交渉)などなど。
これらの時代は、未婚の男女が同棲するのも「ふしだら」だとされていたのです。
まだ社会にも「多様性」なんて言葉すらないですからね。

このように宗教的な道徳観が前提とされていた時代に、左翼の主張は、フリーセックス、フリードラッグ、脱家族主義という「解放」を唱えていたのです。
もというと「快楽主義」だったとも言えます。
気持ちい事は良いことだ主義ですね。

②転じて「多様性」が当たり前になり、もはやリベラル派は「道徳教」の宣教師になった

しかし時代は変わり「リベラルな思想が当たり前」になると「行き過ぎた性の解放で、結局は女性が大切にされず、性的搾取の対象に成っただけでは?」というバックラッシュ(懐疑的な反動)が起きます。
そして麻薬や覚醒剤の悪影響も若者層には深刻な悪影響を与えました。

フリーセックスとフリードラッグの世界観は、無秩序(アナーキズム)な世界であり、結局はマッチョ思考の男性が得をする。

(↑経験人数をゲーム的に稼ぎたい男性にとって、女性とは「数」であり、非人格化される)

かつての社会では女性の処女性は高潔で尊重されるべきだと思われていたが、今では男性から求められていないのだと感じてしまう逆転現象が起きている。(実際の男性の気持ちは違うのだが。真面目に付き合ったり初婚は処女がいいと思う男性は多い)
さらに「差別がない社会」「ハラスメントの無い社会」をリベラル派は唱えだしたのです。
(ソ連崩壊で、共産主義が事実上は失敗したのも大きい)

そして、
「そのような発言は差別的だ!」
「そにょうな行動はハラスメントだ!」

と他人の差別やハラスメントを見つけ出す道徳警察へと成りはてたのだ。
逆に右翼や保守が「道徳回帰」から「リベラルからの検閲に対する自由」(言論の自由、表現の自由)を唱えるという逆転が起きた。

③「自由で平等な社会」へのうさん臭さ

リベラル派の唱える「自由で平等な社会」への懐疑論も根強い。
それが事実ではないとは言え、
「外国人の権利が日本人の権利より尊重されすぎている」
「女性の権利が守られすぎている」
「日本人の歴史認識は自虐的すぎる」
という印象をなんとなく持っている人が多い。
特に中高年層や高齢者層にこれは多いと思われる。(ネトウヨのボリュームゾーン)

(言っておくがそれが「正しい」かは別の問題である。感情政治の問題であり。)

リベラル派は口では自由と平等を主張しているが、実際には「男性と日本人に対する不自由と不平等を唱えている」とみられがちなのだ。

そもそも、「平和」「自由」「平等」とはその人の観念や観点に過ぎないのである。
何をもって自由とするかは人によって異なる。
フェミニストは「家庭」「家族」を女性への抑圧装置だと思いそれから「解放」されるのを自由だと考える。
しかし進化心理学、行動遺伝学的にも人間は「群れる」事を好む生き物であり、家族とは本能に基づいていると私は思う。

動物的本能を平等主義が上回るというのは多くの人にとって不可能だからだ。
そして「アトム化」(原子分解)された個人とは実に弱い。
プロパガンダに流されてすぐに権力層と結びつくのだ。
宗教や地域、家族と言った「中間団体」が消滅すると、巨大な権力に直接すがるようになる。トランピズムがそうであるように。

SNSとは「アトム化された個人」に直接、最高権力者のプロパガンダが届くのだ。
イーロンマスクはTwitterで極右や差別的なツイートが目に付くように操作している。



④多様性と包括性は若者にとっては常識であり、リベラル派の存在意義がない


そもそも若い世代ほど、同性婚や夫婦別姓に賛成である。
若者からするとLGBTQの存在は認知されているのだ。
そしてこれが悲劇的にも、リベラル派の存在意義を失えていると私は感じている。
「いい事、綺麗ごとを大声で叫ぶ必要性」が無いからだ。

活動家や運動家は「怖い」と思っている。
常に自分たちは抑圧されているんだ、日本社会から差別を受けているんだと主張して「何かに怒っている」からである。ネトウヨとリベラルは「常に何かに怒っている」「自分から怒る理由を探している」という点では完全に一致している。

そして若者の多くからしたら、リベラル派や左翼は「道徳警察」であり生徒指導部の先生なみにうっとおしいのだ。

リベラル派は「正しい政治」「正しい考え方」を常に要求してい来る。
この「正しさ」にもう飽き飽きしている人が多い。
もっと気楽に、フラットに生きようよ、と思うのである。


まとめ 「良い事」「正しい事」ではもう票に成らない。

このような観点と独断から、私はリベラル派はもう生き詰まっていると考えています。
「正しい政治」「民主主義が正しく機能する社会」に人々はもう魅力を感じないのである。

これから伸びるであろう政治勢力は、①トランプ型(愛国的孤立主義) ②ユーラシア主義型(ドゥーギン型の大陸的多様性独裁) ③中国共産党型(超ハイテクと豊かな監視社会)になると予測しています。

斎藤、石丸、トランプが人気なのって結局は「SNS時代の階級闘争」なんだろうなあと思っています。
あなたも時代を先取りするために、「脱リベラル」に転向してはどうだろうか?
(もちろんだからと言って、ディープステートだとかナニカグループだとか、暇〇茜のような陰謀論者には引っかからないように、、。)



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