自分の理想像にやられる話
人の頑張る力って色々あると思うんですが、自分の特徴と思われることを書いてみたいと思います。もしかしたら、似ている人がいるかもしれない。
○人の期待に応えられるようにがんばる
期待=周りの人が期待してくれる自分と思ってください。
自分の場合、ベースとして次の考え方がついているように思います。
○価値を生まない自分には価値がない
かなり偏った考え方だと思います。これを(これに限らず偏った考え方)例えば、目の前にいる仲のいい友達が言っていたらどうか?と考えると「その通りだ!!」なんて言わないと思います。(笑)
これは手法の一つでもあるのですが、仮説を立てて他の人に言えるか?>言えない、と思うと自分に対して偏っているのではないかという可能性が見えてきます。そして、反証(否定できる根拠の考え方)が生まれてくるはずです。この反証をメモしておくととても心強い根拠になります。
▶さらに、起きそうな心配事までも仮定してあらかじめ反証を考えておくことも、とても安心につながりました。
ちょっと、話がずれてしまいましたが。
先ほどの「価値を生まないと価値がない」と思っていると、「(ちょっと頑張って)褒められた自分に価値があり、頑張らなくて褒められるに及ばない通常状態の自分に価値がない」と思ってしまいます。
と、改めて自分で書いててなんでやねんて思いますね・・。
結果、よく陥るのが
褒められた自分の状態を維持しようとする
▶背伸びをし続ける
▶結果、消耗しきりダウンする
こんなループです。
ちょっとした具体例をば
カウンセリング面談で、毎回Excelにまとめて資料を持っていく
→それについて褒められるので、”毎回持って行かねば”と思いつつ前日の夜遅くまで作業をする
→疲弊する
頼まれたデータ整理の作業を、当日に急ぎで仕上げる
→別の作業を、同じようなスピード感で当日夜に"すぐに送らねば"と思い、作業をする
→疲弊する
「自分はこのように相手から期待されている(に違いない)から、その期待に沿えるような自分であり続けなければならない」
といったことでしょうか!(自分で書いててしっくりきました)
気持的には[不安]でしょうかね。"期待に沿えるような自分でなければ、相手から失望されて価値がないと思われるに違ない"という不安のような気がします!(見捨てられ不安、とでも名付けておきましょう)
あ。だから頼まれごとを断れないかも・・。
こうして、自分の理想像(他人から期待されているだろう自分像)と比較し続けて疲弊していくのです・・。
もしかすると、「人から褒められること」でしか自分の価値を測定できないのかもしれません。(ツイッターで見かけた絵で、ボールの跳ね返りでしか判断できない、というのがありましたがまさにそれかも)
そうすると、人から褒められるようなことをし続けねばならない、自分はこうあるべきである、(仮に苦しい状態でも無理をして)迅速に対応しなければならない、など・・。自ら苦しい沼に陥り続けるんでしょうか!
最近、多少変わってきたのは
無理をして対応することを相手は望んでいない
これは人生の中でもスーパー価値観を変える御方に出会ったからなのですが。
例えば、何か誘われたときに
「来たかったら来てほしいし、嫌だったら来なくて大丈夫。あなたのしたいようにすればいい」
「え!!そんなことがあっていいんですか!!」と思わず言ってしまいました。だって、自分の中では「自分がどんな状態でも、参加すること=正義」だと思っていたから。
これ、逆の立場だったらと考えると、無理して相手が来てたら嫌だと思います。「いや」というのは「相手が苦しい思いをするのが嫌」だし、そうさせてしまうのも嫌だし。
ここまで言語化してもらってはっきり言ってもらわないと自分はわからないのですが、そうしてもらったことで、本当に苦しい時は無理をしないで断ることを最近身につけました!
こういった自分に染みついた思考(自動でそうなってしまうので、自動思考と呼んでおきます)をすぐに変えるのは難しいです。なので、1個ずつ体験を通して10回に1回でも変化させていけたら上出来、ぐらいの捉え方をしておいたらいいと思っています。
もっというと、「今、自動思考になっている」と自分で気づいただけでも100点ぐらいで、行動を変えられたら120点と思っておきます。
きっとこの先も自分の理想像を追いかけてしまうんでしょうが、自分の理想像にやられないようにしていきたいと思います😇
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