沖縄の短歌一首評⑥喜納勝代
喜納勝代は糸満町(現糸満市)出身、歌集『ゆうとい』は著者26歳のときの第一歌集になります。「あとがき」によると、十代から二十代前半の歌が中心になるようです。
代表作としては次の短歌がよく知られています。
海を恋う無口な男迎えんと素足でかける浜の妊婦は
「海の孤独」
この一首が今夏, 糸満市に建立されるという歌碑に刻まれるということです.
歌集には海の町で知られる糸満市の歌が多くあります。
けたたましく白波をきる島サバニ滅びゆく港に漁夫の貧灯
いくたびか海の平和を祈り来し魚女の空にいわし雲あり
雲低く漁夫の生活なお貧し外国船にあまた乗るという
潮血耐えあゆむ漁夫の骨格のたくましきかな糸満の浜
集中には生活詠、社会詠、女性へと移りゆく自身をみつめた心情詠とともに、相聞歌も多く詠われます。
掲出歌は歌集『ゆうとい』に込める思いと共に、歌人喜納勝代の短歌の特長をよくあらわしているように思います。
「天の空地」という発想にまず驚きます。
糸満の町の小高い丘から海を眺めたことがありますが、空が本当に広く大きく感じられます。しかしそこに空き地があるという感覚はありませんでした。海人の町に住む感性でしょうか。
天に続く「犇めく愛語」の肉感にドキリとします。天の空地に溢れるほどの愛の言葉を蒔こうと言うのです。
あるいは、天に犇めく愛語を人のあいだに蒔こうと言うのでしょうか。
おそらくこの「愛語」とは詩語としての短歌のことなのでしょう。
しかし天と地に犇めくほど愛語を蒔こうと思えば、作者はそれ以上の愛を感じ、育まなくてはなりません。
下句において、作者は「秘事は浄くわが内に棲め」と命令形で決心を示します。形而上的な詩語としての愛語を自身の生のなかに育み生きようとする作者の姿が見えます。
それは「生の一回性」あるいは「かけがえのない<われ>」に通じるものがあるように思います。
戦後の鬱勃とした貧困と沖縄の世相のなか、短歌をとおして自分らしく
生きようとする若い女性の思いが感じられる歌集といえます。
なお、歌集『ゆうとい』は国会図書館サーチ(NDLサーチ)の個人送信サービスにおいて閲覧可能です。(但し、利用者登録が必要です)
生命あるかぎりの空気甘し吾の吸う潮風は貧魂もやす
吸がらをもみ消す靴の音わびし愛の証をいかで語らん
はじめてのパーマを映す鏡の中ひそかに花弁は音たて開く
青空をながされてゆく雲のごと生きんと今日もしきりに思う
復帰の声こもごもにあれどあらわさぬ金融凍結の恐れにおびえし
離れゆく恋とは知りつつ忘られぬ憎きエロスも終バスに乗せ
拙作3首
こころにもあるだろうかティンガーラ底ひにしずむ昏き星窪
冥府の王プルートの弓かこの島は鏃の先の吾が骨かなし
どこかしらからだのひとつたりないよう海上|で休む蝶の憂鬱
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