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あの釜飯の味とは

 コロナへ罹患していることが発覚し、療養していました(ToT)そして、同居する両親も陽性とのことで、先週の療養休みに加え、今週は接触による休みとなり、5類移行へ向けて緩和されている中でも、福祉職のコロナ対策は引き続き厳しいです!!(詳細はインスタのスクショ参考)

病状報告

 その療養中、母親が難病指定の膠原(こうげん)病持ちのため、18日昼前から22日朝にかけて、ホテルにて宿泊療養。その期間の食事は毎食仕出しのお弁当とインスタントの味噌汁(プラス持参の菓子類)で凌いでおり、味は全然悪くなくておいしく完食していたが、ある日の晩、容器は紙素材のプラスチックながら、なんとあの釜飯が出されたのでテンションが上がったものの、残念ながら味はこの療養中の食事の中で、断トツワースト級。もちろん完食できたが、「こんなに醤油の味が濃くておいしくなかったっけなぁ」という印象を持ってしまった。

 この釜飯を初めて食べたのは、小学校5年の秋。当時北陸新幹線の長野区間の開業に伴い、JR信越本線の碓氷峠の線路が廃線となるということで、軽井沢駅から横川駅まで特急「あさま」へ乗り、着いた先の横川駅で食べたのだが、父親の実家は地元だし、母親の実家は関西だったので、同じ山を往く鉄路でも、木曽路を通る名古屋方面の特急へ乗ることが多く、碓氷峠を電車で行き来したのは、個人的にこれが唯一の機会であった。

 この後も2~3回食べた記憶はあるが、今回何十年ぶりに口にして、北陸の隣県の観光電車や旅先での鉄路で良い物を多く食べているせいか「おいしくなかった」と思ったのかもしれない。実はこの釜飯を食べた日の午前中、偶然にも一緒に旅行へ行く大学の友人が、以前ブルーレイディスクへ焼いてくれた、「新日本紀行」という番組の駅弁特集をPCで観ており、数年前に山陰島根で食べた、絶品の牛肉弁当のエピソードと重ねると、釜飯なんて機関車の脱着作業の合間に「何もしなくても売れていた」”碓氷”ならぬ”薄い”代物だったのかもしれない。

 今では移動の中で弁当を広げるというより、観光電車へ乗って提供されたご飯を食べることが主流になってきているが、自分は約18000円のお値段ながら、2時間半の行程で、地元とは縁の薄いボッタクリレストランのご飯と日本酒を嗜み、駅でバイオリン演奏を聴いて、再び元の道を戻るという、冬のトンデモプラン(2回だけの運行だが)を知っているので、鉄路の食のシチュエーションが変わっても、以前ブログで紹介した、隣県の観光電車のように、何か惹かれるエピソードを持って運行してもらいたいものです。

当時の横川駅(右下は少年時代の筆者)


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