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【蔡英文の8年②】政党党首の修練(社会と国を学ぶ)

 蔡英文は、2008年、野党民進党の党首になりますが、それまでの経歴は、国際貿易の専門家(米国で修士、英国で博士)で、1990年代に、政府の委員会委員などを歴任し、国家安全会議の諮問委員(閣僚級)となり、いわゆる「二国論」の起草に加わりました。台湾のWTO加盟交渉にも加わりました。陳水扁が総統選挙前に各分野の専門家のレクチャーを受けるのですが、蔡英文はその一人でした(上の写真は、蔡英文のフェイスブックより)。

 2000年5月に、民進党の陳水扁総統が就任すると、蔡英文は、中国との関係を統括する省である大陸委員会の主任委員である閣僚になりました。
 4年後の陳水扁の二期目(2004年~)では、比例区から立法委員に当選、国対副委員長のポストに就きますが、2005年には、行政院副院長となります。
 こうした経歴で、2008年に蔡英文は、野党になった民進党の主席になります。典型的な官僚政治家と言えます。2010年には、新北市長選挙に立候補しますが、落選し、2012年の総統選挙でも落選し、民進党の主席を辞任します。

 これからが蔡英文の修練の始まりだったと思います。
 無職になった蔡英文は、小英教育基金会というシンクタンクを設立します。2年後の2014年には、民進党主席に復職するのですが、このシンクタンク時代の2年間、蔡英文は、政策に磨きをかけるとともに、地方各地や海外(インド、インドネシア、イスラエル)を訪問します。シンクタンクのナンバー2の人物(後の林全行政院長)を学術交流として中国を訪問させます。中国とのパイプも築くわけです。
 地方の訪問交流は、党主席であるときと異なり、多くの学びを得ることができたとされます。ボランティア活動を視察し、ときに加わったり、上流階級出身の彼女は、このとき、多様で広範な台湾社会に触れたのではないでしょうか。
 ボランティアの精神、社会奉仕の精神が社会をつくり、国をつくります。
社会を理解し、人を理解する、社会を育て、人を育てる。政治もリーダーもそうした過程で生まれ、育まれる、ということだと思います。

田舎の学校の修復ボランティアに加わる(蔡英文のフェイスブックより)



海外訪問の中で、一つ挙げるとすれば、イスラエルです。イスラエルは、人材育成、国防の研究開発が進んでいる国で、科学技術イノベーションがGDPの9割以上を占めています。非大国で資源が乏しく、安全保障上、中国という脅威がすぐ横に接している台湾にとって参考になることころが多かったでしょう。
 教育では科学技術分野を重視し、大学では起業も奨励されている。男女とも4年の兵役が課されています。兵役で協力や実行力を学びます。軍隊は科学技術指向であり、軍人は退役後も重要な産業に参入できるとされています。冒頭の写真は、兵役従事中の女性との写真です。イスラエルにおける国防(軍人)と社会の近さを感じたとされます(私もかつてテルアビブで多くの軍人が町に溢れていることに驚いた経験があります)。
 イスラエルの「民主政治」も収穫が多かったようです。政党が乱立し、倒閣やデモも日常茶飯事ですが、国益に関する問題では、与野党は一致するといいます。
 政治の在り方、社会や国の在り方、国の建設、リーダーは学ぶものが多く、怠ることはできません。わが国の自民党総裁選の立候補者でも、社会の力、政治の在り方について思いを至らせる、そうした修練が必要だと思います。

※私個人は1991年夏、ヨルダンから西岸を経由してイスラエルへ入国しました。エルサレムでの滞在も旧市街としました。パレスチナの人々への同情もあったからです。イスラエルとパレスチナの対立は悲劇ですが、政策として、政治としてイスラエルに学ぶところは多いと思っています。


 

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