手招き
#不思議 です。
苦手な人はスルーしてくださいね。
もう20年近く前に亡くなった祖母が、生前、こんなことを話した。
「今日明日食べる物がなくてね、大阪の市内にある市場に宝石のついた帯留をお米に変えてもらおうと売りに行ったんだよ」
祖母と小学生にも満たない伯母2人と幼い父。変わったお米はほんの少しでがっかりしたのを憶えているといった。
夕方、少ない米を持ち、子供達を連れ途方にくれてた時分、空襲のサイレンより前に爆撃機の音がしたそうだ。大阪の中心部、サイレンと同時に爆発音や叫び声で耳がおかしくなりそうだった、と。
「大阪は大通りを入ると細い路地が多くてね、大通りも路地も空襲で逃げ惑う人でごったがえしていたよ」
みんなが逃げるところへ逃げようと走っていたら、幼い父が「おしっこ」とぐずった。こんな時に言わなくても、と苛立ったが、薄暗い路地に入り、軒のところでごめんなさい、ごめんなさい、とつぶやきながら用を足していた。
路地の奥をふと見ると、向こうのほうから祖母たちに向けて鷺草の少し紫がかったねず色の小袖が見えた。白くふっくらした手がおいでおいでと手招きしている。後ろは木造の家屋が燃えたり叫び声で賑やかしく赤々とした光。夕暮れなのに昼のように明るい。手招きする方は真っ暗で不思議と音が聞こえないのが奇妙だった。
ふらふらと手招きする方に行くとそこは細い路地、逃げ場もないはずなのに誰もいない。さっきの小袖の手はどこにいったんだ?と辺りを見回すとまた、その先の路地から同じ小袖の手が手招きをする。
追いついては消え、追いかけると少し先で手招きをする。
何度も手招きに導かれて進むといつのまにか空襲の場所から外れ、静かな場所に着いたという。
祖母は船場という大阪の今で言う心斎橋と本町のあたりにいたそうなのだが、気付いた場所は梅田の東、中崎町と南森町のあたりだったという。
子供達を連れて走ったが、到底信じられなかったと言った。
「結局、手招きした人って誰やったん?」
祖母に聞くと、後になってわかったそうだ。
祖母の祖母や大叔母から
「コレはな、若くして亡くなったあんた(祖母)のお母さんの大事にしてた着物やさかい、絶対に質草にしたらあかんで」
あの時の小袖が綺麗に残されていた。
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