心は嵐の荒れ模様 《乳がんの記録 2016年7月14日》
※shortnoteにて記載
今私の心境が波風どころか嵐である。
ちょっとすぐに整理がつかない。
今オトメ(夫)にそのことを話していて、実は…と夫は数日前に実母から聞いていたことも教えてくれた。うん、オトメは悪くない。 しんどい時期だったので避けてくれていたことは有難い。
ぶっちゃけ言うと、以前のノートで書いた私の姉妹が、彼女も乳がんの切除手術をすることになりまして。
ぶっちゃけますと、彼女が勧めてくれた病院を姉妹自身が選ばなかった。あれだけ力説してたから彼女の言う「後悔しないように」の選択なんだろうなとは考えたよ。
前のノートでは書かなかったのですが、あの時、フラワーレメディのエッセンスを送ってきたのと、A4の用紙5枚にびっしりと反省と謝罪としつつ内容は謝ってる言葉は並んでたけど謝ってる風じゃなくて私の選択は間違いだから正せという風に取れる文章なことと、フラワーエッセンスのビンとともに、そのフラワーレメディの担当者に私の個人情報を事細かに教えており、その人の手紙が入っていたので気持ち悪くなって棄ててしまった。「まーだなんちゃってスピリチュアルと縁切りできてないのか!」と腹立たしくて、お断りしても自宅に宅急便で送り届けるし、何度目かの距離を置いた今回も自身の価値観だけで私の選択を否定してきた。
だからこちらから距離をとったのに、余計にしんどい。
今までの私だったら問答無用で怒って社会的な部分で宗教の縁を切るんだが、今回は病気の事とこれからの事を第一に考えたので、オトメ(夫)にも電話をスピーカーにして聞いてもらい、筆談しつつ、「病院とはいえ、対するのは【自分と人】でしかないんだよ?」と伝え、すべての人に良い病院というのは難しいし、病院の方針や個々の個性は変えようがないから…ということも伝えたので、彼女が選んだ結果だということもわかっている。
前のノートには書かなかったことではあるのですが、私の親族はほぼ特定の癌の家系なので因果関係や遺伝上の確率も少なからず考えないといけないのが前提なのです。
それをわかってか…いや、当時も根本的な部分はわかってなかったんだろうなぁ…姉妹は当時親戚や私の友人が癌で亡くなった事に対して、なんちゃってスピリチュアルにがっつりハマってた時期でもあったので、 「癌になるのは何かしらのストレスも抱えているし家庭や個人に問題がある場合が多い」って言われた時に腹立たしくて腹立たしくて忘れられなくて。本人に今問い詰めても言った言わないの水掛け論が待ってる。
私はその時、それは統計もあるかもしれないが、裏付けされたものではなかったし、一概に言えないから公では言うな、そう言ったのに「でも亡くなった○○(私の友人)はストレスを抱えてたんでしょう?」と言ったのを今でも憶えているのよ。
誰しも少なからず社会に出ている以上は何かしらの影響はある。それをどうやって昇華するかは本人次第だから、その後に姉妹が言った病気とは関連もない「因果」だとか「日頃の行い」という吹けば飛ぶような曖昧なジャッジで決裁を簡単に決めないで欲しかったのですよ。
当時も宗教の影響が色濃く出ていたので仕方がないとヌルーする術はあった。だから距離を置いた。 どんなに慎重に選択して満足しても後悔やちょっとした振り返りはあるもんだと昔から漠然とですが思ってた。だから人の選択を持ち出すな、なんです。
当時の漠然とした考え方は姉妹に否定されたんだよね。
何年経っても根本は変わってないだろうなぁとは思うので、今後も何をどうこうしようというよりも黙ってことの成り行きを見守る以外はアクションは起こさない。
彼女は聞いた話では私よりはステージが小さく、あとは切開して中を見てみないとわからない状態なので、「手術の無事を祈ってる」ということを伝言として伝えた。
あー…脱線したな。
姉妹が選んで進む道なのであとは連絡来れば何かしらの反応はしようとは思う(十中八九来ないだろうな)
私の心自体は稲妻と嵐でどうにも治ってないんだが無事手術の成功と術後の経過が軽いことを願ってる。
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