先生と呼ばれる人の話

百貨店で勤めていた頃、文化催事の物販販売の担当をよくしていた。その頃は画家の大家さんや有名イラストレーターさんや漫画家さんに直接ご挨拶したことがある。ミーハーな1人なのでその辺は嬉しかったな。

どの方も個性的でとても素敵な方ばかりでした。私がファンでとても感動した方はファンタジックな絵柄のAさんと一コマ一コマが一枚の絵のようで彼が描く男性キャラクターそのものだったWさん、そしてシルクロードを旅していた夜空の瑠璃色が印象的なHさんや木々の擦れる音や風の音が聞こえてきそうなHさんにご挨拶できたことは何よりも宝だと思っている。亡くなった父にもそれだけはハンカチ歯嚙みする勢いで羨ましがられた。

もともと物販担当やアルバイトやチケット販売などのスタッフが挨拶するというのは最初は無かったのですが当時の上司が画家本人が挨拶したいということで恒例としてくれた節がある。上司はその後本店の美術担当に栄転、そして後任でやってきたのは「坊ちゃん」に出てくる赤シャツと「おそ松くん」のイヤミを足しっぱなしなSさん。
わかりやすく言えば彼は強いものには媚び、弱いもの自分より目下だと認定したものには横柄な態度をとる人物として有名で「深く関わらなければ実害は無いよ☆」と言った先輩は私が深く関わっていると知ると「ド・ン・マ・イ☆」と素敵(不敵)な笑顔を見せ去っていった。

Sさんは美術催事のご本人を前にすると太鼓持ちか?と言わんばかりの「先生!」を連呼していた。
「先生!今日のお召し物は一層先生を引き立てますね!」
「先生!今日は○○のうな重弁当ご用意しました!」

いちいち「先生!」と呼ぶ間のSさんの仕草は横山のやっさんの【怒るでしかし】な仕草なのだ。あと明石家さんまさんの【パァでんねん】はたから見れば笑いを堪えるのに苦労するレベル。とにかく動きが独特で美術催事担当の前の接客を見てみたかった。

そしてSさんは催事期間中は画家先生本人にべったり、物販担当の私や他の社員やアルバイトに至ってはたまに虫ケラですか?という扱いをする。人を呼ぶ時に「オイ」はまだマシな方で、たまに「チッチッチ」と舌打ちしながらまるで犬でも呼ぶような仕打ち。人を追いやる時などは画家先生や上司に見えないところで手を「シッシ」という仕草をする。最初こそ「なんだこの人は!」と怒りもあったが、【Sさんのあの行動の一つ一つがSさん足り得るある意味Sさんの様式美】と見てしまったらもうネタ帳にネタあざーす!ってなもんで心はアルプスの花畑の如く穏やかでいられたのはここだけの話。

当時はバブルの余韻がまだまだあった頃、あの頃のお接待は派手だったと記憶している。

ある日は美人画で人気の先生がサイン会のため多忙な中土日を使って来店された。評論家の竹村健一さんと作曲家のキダタローさんに雰囲気が似てるので竹村先生と呼んでおく。

その竹村先生は画家先生の中でもとりわけハッキリとした物言いの方でも有名な方でした。特に人気で私が担当してる間に数度美術展をしましたが、当時は絵のモデルにもなった芸妓さんと舞妓さんがご一緒したこともありました。

ご挨拶を済ませサイン会も滞りなく和やかな雰囲気のまま進みそのまま応接室に向かった先生とSさん一行。私は昼の繁忙時間がひと段落してトイレに向かう途中でした。

相変わらずSさんの「いやぁ、先生!今日もお召し物決まってますね!」が聞こえてきて、ああ、またやってるな〜くらいに応接室へ向かう廊下、一行のすぐ後ろを歩いていた。

Sさん曰く「どんなに急いでいても目上の者を追い越すことは断じてならん」というお達しを聞いていたので後ろで「早く応接室入ってくんないかなー」と呑気に歩いていた。

Sさんの「先生!」は相変わらずのコンボで突き出してくる。その時、竹村先生が言い放った。

「もー、君の言う先生って言葉は軽いなー」

Sさんは鳩が豆鉄砲喰らった顔。文字通りのクルッポー。

「いやー、世の中で一番軽い先生を聞いたわ〜」

なかなかこんな台詞は言えない。言えるのは当の先生ご本人だけです。

キミもそう思うやろ?」と私に向かって先生が話題を振ってきたので

へ?!あ、すみません、お二人だけの重要なお話かと思い聞いておりませんでした!」と返すので精一杯でした。だって竹村先生の後ろでSさん睨んでるもん。

「恐れ入ります、別の所用がありますので失礼致します」とトイレに向かう角で曲がって急いで非常階段の扉を開けて我慢していたのをそこで噴き出した。トイレで噴き出したらまずバレただろう。

頑張った、私。

Sさんはその後竹村先生がエネミーとなったようで神妙な態度をとるようになったが私たち社員やアルバイトにはブレず変わらずあの見下した態度は崩さなかった。
こんなことがありました。

#百貨店
#変人ホイホイ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?