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The boy with a heart of glass~同じ腹から生まれても違うんだよねって話~


上の記事を書いて改めて思うのだけれど、娘は生まれた時から、自分が愛されないなんてことを想定したこともないのではないか。

そのくらい彼女は彼女を取り巻く全方位から愛されてきた。

両親のみならず、祖父母に叔父叔母、親戚一同からの手放しの祝福とともにこの世に迎え入れられ、十分すぎるほどに放出される母乳をお抱えドリンクバーのようにして好きな時に好きなだけ飲み、その透き通るように白いもちもちの、甘い香りのするほっぺを、愛に満ちたいろんなてのひらで撫でまわされながら、当たり前のように守られどっしりと育ったのだ。

・・・少なくとも、弟の登場までは。

娘ひとりのときは、娘がどんなにかわいくても、その顔がどんなに自分の幼い頃に似ていても、この子はわたしのものではない、と強く意識していた。わが子である前にひとりのひと、神様から預かった大事な存在、くらいに思っていて、だからこそこの子の気持ちに寄り添える、過不足なく世話をする、good-enoughな母でいたいと思っていた。

夫の地元でも自分の地元でもない場所でのstrangerとしての育児で、
そばに頼れる親もいなかったけれど、娘ひとりの時の子育てに関しては、楽しかった記憶しかない。
基本的に群れることが苦手なので、積極的にママ友を作ろうとしたこともないけれど、行く先々で気の合うひとと繋がり、つかず離れずのいい距離感を保てるママ友たちにも恵まれ、娘も安心していたはずだった。

娘が2歳の夏。息子がおなかにやって来て、そんな状況が一転した。

弟が母のおなかに来たことで、
娘はanytime,anywhere供給されていた乳を取り上げられることになり、
弟がおなかに来たことで、
母に抱っこをしてもらえないことが増え、
弟が産まれ出てきたことで、
母は完全に余裕を失い今まで決して怒ったり責めたりしなかったようなことも叱責するようになった。

3歳でおねえちゃんになった娘は当然母を変えてしまった弟に対する愛憎を表明した。

「△△くん、かわいいね。おおきくなったらいっぱいいっしょにあそぼうね!」

「おかあさんおこりんぼになっちゃった!△△くんなんてうまれてこなかったらよかったのに!」

…その言葉を否定する気にはなれなかった。

「そうだよね。おかあさんイライラしてすぐおこっちゃうもんね。ごめんね。でも、おかあさんにとっては○○ちゃんも△△くんもどちらもかわいくてだいすきで大切なんだ。ふたりとも生まれてきてくれてありがとうね。」

そういって泣きながら抱きしめるほかなかった。

息子は娘とは全く違うcharacterだった。

慎重で母のそばから離れようとしなかった娘とは違い、自分で動けるようになるとすぐに高いところへ登ろうとし、遠くへ行こうとする。
自宅での乳児期の息子の定位置はテレビ台の上かこたつの上。

父に聴かされ覚えてしまった宇宙刑事ギャバンを前奏から当たり前のようにうたい披露するだけでなく、父に教え込まれた平成仮面ライダーを全て覚えて誦じ、文字も読めないうちから昔のマリオの攻略本を読み込み内容を説明するなどなかなか偏った特技を持つ、お調子者で目立ちたがり、だけど繊細さも持ちあわせた、ガラスのハートboyに育った。

全員が日常的に何でも言語化しまくる家庭環境に育まれているせいだろうが、息子も当然言葉巧みであり、さながら大人なボキャブラリーを使いこなす。


幼稚園では、参観や親子行事のたび、
「きみが△△やんかー!」
といろんなママさんに声をかけられてきた息子。
日々なにかやらかしていて、おともだちのおうちでの話題に上がる存在なのだろうかとドキドキしながら聞くと、
「うちの子が、△△やんおもしろいんだよ!っていつも話してくれるからどんな子かなって思ってたんだよ、イケメンやな!」
「うちの☆☆、△△やんだいすきなんだよー!」
褒めてもらって、また図に乗る息子。

そんなふうにみんなに注目されたい反面、打たれ弱いところもあり、また極度の怖がりでもある。

アニメを見ていてもなにかマズイ展開(慢心した主人公が下手やらかして痛い目に遭うとか…)が来そうになるとすぐに「もう嫌!見たくない!こわいから消して!!」

初めての遊びなどに誘われてもすぐには参加せず「見てる」と宣言、ルールがわかり、できそうだと思ってからじゃないと参加できない慎重さもかつてはあったっけな。

緊張すると特にじっとしていられなくて、考えるより身体が先に動いてしまうのだけど、その後自分が「やらかしてしまった」ことに落ち込み、眉間に皺を寄せて考え込む姿もよく見られる。

そして息子はいう。


「△△やんは自分のことすきじゃない」

…そう、娘とは対照的なのだ。


先日のエピソードにもその対照性が色濃く出ていた。

その日は二人を寝かしつけるお布団の中で、母はなぜか自分の昔話をせがまれていた。
小さい頃は何になりたかったのか
どうしてこころの専門家とよばれる仕事を選んだのか
いつからやってるのか
などのインタビューのあと息子が不意に思い出して言った。

「あ、そうだ…明日までにね、大きくなったら何になりたいか、考えていかないといけないんだった…」

卒園の記念文集のようなものに、将来の夢を書く。娘の時にもあったな。

何になりたいのか尋ねるも

「△△やん、ないんだよね…。何になりたいとか。ほんとわからない。」

そこで娘が言った。

「えー!わたしはそれ、幼稚園の先生になりたいって書いたな。でも今はもっと他にもなりたいものたくさんありすぎて紙一枚じゃ足りないよ!
アイドルとか歌手にもなりたいし、モデルさんもすてき!あと、理科の先生とか研究者にもなりたいし、幼稚園の先生も。ものづくりもしたい!建築デザイナーとかもいいな。いっぱいなりたいものある!なれるなら全部なる!」 

(…本当、全部なりたい自分になってほしいよ!!)

家族4人で考える。

娘「それさ、まだ決まらない、これから考えるって書いたらいいんだよ!」

息子「それダメって言われたんだよね…どんな人、とかでもいいから何かは書いて欲しいって先生が。」

父「いい言葉教えてあげようか、”未定”。それは未定ですって書いたら」

母「それ○○ちゃんいうてるのと同じことやろ(笑)うーん、どうなん?△△やんはみんなに注目されるの好きやん?だったらさ、ほら、お笑い芸人とか、アイドルとかどうなん?イケメンアイドルでいくか!」

娘「ふふふ!みんなとイチャイチャできるよ!」

息子「…うーん。お笑い芸人になって、イケメンでーっす!とかやろうかな」

母「・・・そのキャラはもうおる気がするな(笑)」


・・・翌日の幼稚園帰り。

母「将来の夢は決まった?なんて書いたん?」

息子「決まらないんだよ・・・わからないもん」


結局その翌日にリミットがやって来て、
息子は先生に促され書くことを見つけたようだった。

母「それで、なんて書いたん?」

息子「SDGsに関係すること。」
(息子はなぜかSDGsネタに敏感で、幼稚園でも何かにつけてSDGsについて語っていた様子)

母「なんだろう・・・」

息子「・・・をまもりたいって」

母「??」

息子「ちきゅうをまもりたい、、、って書いた」


Wow!!
想像をはるかに超える壮大さやった・・・・!

感心する母を尻目に、
しかし息子はあまり納得のいっていない様子で、
「でもやっぱり、なにもなりたいものなんてないんだけど」

とりあえずしぶしぶの着地点、というところなのだな。


しぶしぶと言えば。

先日あった、彼にとって幼稚園生活最後の発表会。

一部は学年ごと、それぞれバラエティに富んだ出し物が披露され、
息子ものびのびと表現を楽しんでいたように見えた。

そして第二部のオーラス、
感動のピークとなる年長児の歌と合奏。
いつでも涙が拭けるようタオルを左手に握りしめ、
動画を撮影するも、
息子全く口を動かさず難しい顔をしている。
時々チック様の顔の動きも見せる。

どうした!
どうしたんだ…

じっと見つめているとそんな母の視線に気付いたのか、さらに険しい顔をしたようにも見えた。

合奏の鍵盤ハーモニカは吹いているように見えたが、うたは二曲とも歌わない。
周囲の子がひたむきに歌う姿は涙を誘うのだが、

息子よ…どうした息子よ。

最後なんだから、じっとして、
うろうろしたりしないで発表に集中するんだよ。
かっこいい姿、見てるからね!

…とか、送り出す前めっちゃ言うたなわたし。
しつこく念押しもした。
あぁ、プレッシャーを与え過ぎてしまったか。
自由に、自然に振る舞えなくなってしまったのか。

皆が大きな声で歌うその場で、時にあくびをしたり険しい顔をしてただ立っている息子を責める気持ちが湧かなかったわけではない。
が、むしろまたわたしは自分のエゴから「失敗するなよ」のメッセージを刷り込んでしまったのでは…と自分の胸に手を当てていた。

責められない。

何か考えている様子でもある。
話を聴こう。
全て終わったら、
何はともあれ、ちゃんとみてたよ!がんばったね!と抱きしめよう。

後ろの方の席で見ていた夫も同じようなことを感じていたようだった。
「責めないでおこう」

終演後の息子はしかし達成感に満ちた表情で、先生やみんなとのさようならの時間をすっ飛ばしてフライング気味に母の元へ駆け寄り「おかあさん!!だっこー!!」と抱きついてきた。
「めっちゃ楽しかった!発表会もう一回やりたいわ!」

発表会そのものはとても楽しい思い出になったようでなにより。
しかし、あの表情はなんだったのか。

その後息子に尋ねたところ
「だってさ、あの歌なんかおかしなこと言ってるんだもん。歌詞が嫌なんだ。だから△△やんは歌いたくなかったんだ。」
「鍵盤ハーモニカは吹いたよ。あれも吹かなかったらそれはダメでしょ!」

本人の中でなにか引っ掛かるものがあったのね。。
まぁそれも、息子らしいといえば息子らしい。

さぁ 耳をすましてごらん
生きてるものはみんな歌ってるよ
おんなじ歌を 一緒に歌おう
コーラスを はじめよう
人も鳥も 虫も獣も 花も魚も
みんなおんなじ
地球に生きてる仲間だよ
なんだって兄弟さ
地球はみんなのものなんだ

さぁ みんなで声を合わせ
生きてる喜びを 歌おうよ
ちっちゃなアリも 大きな象も
仲良く 歌おうよ
君も雀も トンボもゴリラも
バラも鯨も みんなおんなじ
地球に生きてる仲間だよ
なんだって兄弟さ
地球はみんなのものなんだ

君も雀も トンボもゴリラも
バラも鯨も みんなおんなじ
地球に生きてる仲間だよ
なんだって兄弟さ
地球はみんなのものなんだ
地球はみんなのものなんだ

「地球はみんなのものなんだ」作詞:山川啓介

ぼくたちはかがやいてる
キラキラとひとつひとつ
こころのおくをのぞいたら
キラキラキラ キララ ひかっている

あさのひかりがさしこんで
たんぼにうつるあおいそら
みんなみんな いきていて
こんなにもきれいなんだ

ぼくたちはかがやいてる
キラキラとひとつひとつ
こころのおくをのぞいたら
キラキラキラ キララ ひかっている

そらにむかってのびていく
あおばがかぜにゆれている
みんなみんな いきていて
こんなにもきれいなんだ

ぼくたちはかがやいてる
キラキラとひとつひとつ
こころのおくをのぞいたら
キラキラキラ キララ ひかっている

くもにかくれてみえなくても
ずっとほしはね ひかっている
みんなみんな いきていて
こんなにもきれいなんだ

ぼくたちはかがやいてる
キラキラとひとつひとつ
こころのおくをのぞいたら
キラキラキラ キララ ひかっている

ぼくらはほしのように
ひとりひとりひかってる
キラキラキラ ひかってる

「ぼくたちはかがやいてる!」作詞:鈴木翼


…うーん、どこに納得がいかなかったんだろう。。


でも思えば最近の息子はわたしや娘が歌っている藤井風のうたの歌詞にも


「ねえそれってどういう意味?」

「それは何のこと言ってるの?」


とかなりつっこんだ説明や解釈を求めてきていたな、確かに。。

ちなみに、合唱曲が藤井風のきらりなら歌っていたらしい。


…発表会での後者の曲とモチーフ的には大筋そこまで変わらないような気もするのだけど、今の息子にそちらは響かなかったということなのかな。。

あるいは、歌詞の意味を丁寧に知りたかったけど、こたえてもらえなかったのかもしれないな。

いずれにせよ、真相は定かではない。
変な邪推や解釈はもう、これ以上しないでおこう。

そんな彼が藤井風の曲で一番好きなのは
「きらり」
それと同じくらい好きなのは
「damn」だそうです。

自分を愛する、こと。
息子にとっても当然、逃れられないテーマやね。

息子曰く「○○ちゃんと△△やん(自分)は、同じおとうさんとおかあさんから遺伝情報もらってるはずなのになー」

そうだね、似ていなかったり、似ていたり。

同性なせいなのか、交わりにくい性格のせいなのか、姉に比べ父からのあたりがきつい、のは確かで、そのままの自分をあまり認められていない気もしているのかな。

これから、もっともっと、自分を好きになっていけるといいね。
母はずっとずっと、△△やんのこと、だいすきなんだけどね。


もっともっと、自分をだいすきになれるように、もっともっと、心からのhugを全力で与え続けよう。


…母にできることは、それだけやもんな。


love always,


そして本当に地球を守れるくらいの大きな愛を持てる人になってくれたら、母はうれしい。

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