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ドキュメントバラエティとリアリティショー②

今世間色々と言われている「テラスハウス」を数秒しか見たことがないのでそれに関して発言したり書いたりすることを基本的にしないできたのですが、やはり色んなところで論評する記事などを読んだりします。Netflixで日本だけじゃなく世界でカルト的人気があったようですね。
その理由を読んで面白いなと思って色々考えたのが②を書き始めた理由です。
カルト的人気があった理由は「テラスハウス」これまでの欧米の恋愛リアリティショーとはまったく違っていたからだと。ある外国人記者が「あの面白さはほとんど何も起きないことにあって、派手なビンタ合戦に明け暮れる欧米のリアリティーショーに飽き飽きしていた視聴者にとってそれがめちゃ“チル”だった。コンマリ人気というのも同じで、要は、日本オリジナルのコンテンツのユニークさは、そのアンチクライマックス性、アンチドラマ性にある」と。
あ〜やっぱり日本のドキュメントバラエティの系譜にあったんだなあとその記事を読んで思ったのでした。
日本のドキュメントバラエティって実は大したことが起きないのがほとんどなんですね。ヒッチハイクを何時間もしています。延々部屋でハガキを書いています。無人島でイカダを作っています、などなど。この微妙な気持ちの変化を追うと言うのが今でも日本のドキュメントバラエティのやり方です。そこを楽しむ。
それに対して欧米のリアリティショーはドラマチックです。ドローンがバンバン飛ぶ下で出場者同士は感情豊かに泣いたり怒ったり時には殴り合いもしたり。これは出場者の国民性の違いもあったりするのでしょうが、多分そもそも作り方が違うのです。
2002年ごろにアメリカの「サバイバー」という無人島リアリティショーが日本でもフォーマットを購入して放送されたのですが全く受けませんでした。多分TBSの撮影現場では制作指導に来たアメリカ人とだいぶ揉めたと思うのです。推測ですが、ストーリーに従って撮ろうとするアメリカ式と状況だけ作って撮ろうとする日本式。
僕は無人島ものは1998年「Rマニア無人島脱出」や2001年「15少女漂流記」があるのですが、2002年に「15か国少女漂流記」と言う海外の少女を集めた無人島ものをやりました。その時に企画が終わってリタイアしたイタリアやフランスの出演者から訴えられそうになりました。それは「テレビ番組なのに写っていないところでも水や食料をくれない!そんなのあり得ない!」でした。
つまりそう言うことです。欧米のリアリティショーと日本のドキュメントバラエティの違いの根本は。
先日SNSで話題になっていたので「水曜日のダウンタウン」の生放送で延々クロちゃんが自分の部屋で色んな指示を受けてそれをやるのを後で録画で見ました。多分あれも状況だけを作ってクロちゃんに何か事前に指示したり台本を与えたりはしていないと思いました。
日本のドキュメントバラエティは基本的にそう言う作り方をします。
それはなぜか?
それは日本の視聴者がそれを見て感じる力があるからだと思っています。
多分DNA的なのか、昔から「侘び寂び」といいますでしょう?
微妙な違いを感じそれを愛おしむことができるのが日本人の特性だからではないかと思うのです。微妙な仕草、表情の変化を感じてそれが本当にその人が思ったものなのか?それとも台本で言わされているものなのか?
それを感じ取ることができるのが日本の視聴者であると。少なくとも制作者はそう思っていて基本的にはリアルを撮ろうとする。どうしても撮れない時は諦めるか、または編集で誤魔化すか、全部ナレーションにしてしまうとか。(そういう意味で「ガチンコ」はリアリティショー的かも)それは番組で違い現場でも違うでしょうが、基本的にはリアルで撮るとするのがドキュメントバラエティ、最初から台本を想定しているのが(これも欧米の番組や現場でバリエーションがあるでしょうが)リアリティショーだと言っていいと思います。

だから日本の番組が『アンチクライマックス。アンチドラマ』でも、その微妙な「侘び寂び的なもの」を楽しむものとして、そこにカルト的人気が生まれる理由だと思ったのでした。



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