60歳からが人生の本番かもしれない
今朝起きる前につらつらとiPadのFacebookを眺めていて表題のようなことを思った。
会社を少し早期退職してどうも山伏になったらしい男がいる。
自転車を電車に積んで新潟の美術トリエンナーレに行っている男がいる。(まだ辞めてないが)
60歳で退職してジャズバーを始めた男の店はもう6周年だ。
一緒に映画を作っている男はもう2週間以上も一人で編集作業に籠ってさっき「ようやくトンネルを抜けました。かなり手応えがあります」とLINEをくれた。
みんな日本テレビの友人だから世間的には特殊な環境にあるんだろうが誰もが会社で仕事をしていた時よりも楽しそうだし多分死ぬまでやっているだろうことを見つけたようだ。
みんながいうからあまり使いたくはないのだが「解像度を上げる」という言い方がある。自分自身という内的なものへの解像度を上げて「本当に好きなもの」を細かいニュアンスも含めて絞り込められるか?60歳という一般的にはリタイアの年齢の時に。
例えば僕は知らない街に行くことが好きだ。まあ海外の方が知らない度合いが高いので望ましい。しかしその場所の観光名所には全く行きたくない。何も知らずに街を適当に右に左に直感に従って歩き回りたい。お腹が空いたら様子のいい食堂やレストランで適当なメニューで食べたい。個人のこだわりが感じられる商店に入って手にとったり時には買い物もする。今や言葉はスマホがあれば不自由することはない。そんな海外の旅がこの先たくさんできるといいと思っている。
まだ行っていない世界中のカジノにも行きたい。ただしやる種目はバカラのみ。そして少しでもいいから勝って帰る事を実現したい。
リタイアしたら「何となく蕎麦でも打つか?」「写真でも始めようか?」ではなく精度の高い「やりたいこと」を積み重ねられることが始まるのだとしたら人生は60歳からが本番なのかもしれないと思う。
老後はそんな簡単なものじゃない。日本テレビにいたから蓄えがあるからそんな事を言っていられるのかもしれない。でも図書館に行けば森羅万象の知識の詰まった本はあるし、ネットにも有象無象の虚実ないまぜのコンテンツが無限にある。それらの特定の絞り込んだジャンルの情報の整理だけでも一生かかるのではないか。お金がかからない何かの追求の方法は探せばかなりあるのではないだろうか?
社会人という社会に奉仕することからリタイアが許された時に、自分の本当の自分だけの嗜好が捉えられているか?が大切なのではないかと思った。