NO BORDER次回公演のために⑦

インド・ムンバイに来ている。

何のためか?言ってみればインド版電波少年をやりませんか?という売り込みのためである。

メインの相手先はあるのだがせっかくインドに来ているのだからと何社かプレゼンをしに回る。インドは世界で一番映画が作られていることで知られるある意味「エンタメ王国」である。だからエンターテインメント先進国かというとそんなことはないということはわかった。と言うかその国のあるジャンルの「先進性」を持つとしたら、それは「破壊者」がいて為されるものなのだと言うのがはっきりわかった。

「筋書きがない”リアリティ”があるものやりませんか?」とプレゼンするも「いやインド人はそうではない。筋書きがあって今はちょっとエロっぽいものが個人がスマホを持って動画を見る時代には受けている。だからそう言うものはないのか?リアリティなんてものはいらない」こちらがプレゼンすればするほど相手の熱が落ちていくのがわかる。責任者が会議室を出ていく。担当者も次のビデオを見せているのにスマホをいじり始める。

思い出した。15年前に初めてアメリカに電波少年を売り込みに行った時相手のケーブルテレビ会社はなすびを見せようが猿岩石、朋友を見せようが興味をなさそうにしてやっぱりアルバイトの女の子がめんどくさそうに相手をしてくれたのだ。「日本人が私たちを面白がらせるものなんて作れる訳ないでしょ?」と目が明らかに言っていた。そしてその時に日本のテレビが数多くの「破壊者」によって前に進んだことを思ったのだ。

今大学でも「テレビコンテンツ史」のようなものを授業でやっているのだがその中で”テレビ史上最初の100%男、萩本欽一研究”をやっている。それまでのテレビのお笑い=寄席の延長でしかもテレビカメラが動かないで”この枠の中でやるように”と言われたのをぶっ壊してスタジオ中を駆け回りに空前の人気を博したコント55号で始まり、視聴者からのハガキを読むと言うラジオの手法をテレビに持ち込み、さらにそれを街に出て読んで「スベることを笑う」というスベり芸を発見し、さらに芸達者ではなく素人をオーディションによって次々とテレビに出し人気者にしたのはまさに「テレビの破壊者」であり続けた萩本欽一史なのである。それによって日本のバラエティ、いや日本のテレビは進化し続けた。そのテレビのドキュメント性をさらに進めたのは「探検レストラン」の菅原正豊であり「元気がでるテレビ」のテリー伊藤であった。そしてその流れの延長線上に「電波少年」もあり、そしてそれをインドに持ってこようとして壁にぶち当たっている。
笑える。

今これが受けているのだからこういうものを作る。それではどの業界も進化しない。ネット上の商店街=モールはありえないという声に逆らって「楽天」は生まれたし、ファッションはネットでは買わないという声を無視して「ZOZO」は何百億企業になった。皆「破壊者」なのだ。「今」は「今」でしかなくて「未来」ではない。このことを進めたものだけが歴史の中で結節点を作る。

しかしそんな人は滅多にいない。いたら逆に大変かもしれない。世界は進化しまくる。でもその進化がなければコンテンツ産業はこうなるのだということを他の国で見ることができるのかもしれない。一人の「今はこうだが明日はこうだ!」という狂気の人がいて進化は起こる。そしてそのことを言い出す時、目の前にはつまらなそうにしている「変化を好まない」担当者がいるのだ。ユーザーは変化しない。与えられた商品の中で選択するしかないからだ。でも破壊者によって「今までにないもの」が提示された時に怒涛のような濁流が生まれる。「電波少年」が社内から”あんなものはテレビじゃない”と言われたにも関わらず、当時の若い視聴者に圧倒的に支持されてテレビが変わったように。僕たちはそれを知っている。

楽天やZOZOだけじゃない「今までにないもの」を作り地べたを這いずっている破壊者はきっと世界中にいる。彼らの前には冷笑する「今受けているものと似たものを出しなさい」という普通の人々がいる。世界中の破壊者たちにエールを!と時差ぼけで眠れない朝5時にインドのホテルでこんなものを書いている。

さて明日にはインドを出てシンガポールにNO BORDERのプレゼンに向かう。
果たして「今までに世界になかったライブエンターテインメント」を支持してくれる人に会うことができるだろうか?これまではテレビ番組を作って日本国内のユーザーに提示していたが今回のインド・シンガポールの旅のように「世界のユーザー」にぶつけに行けるのは幸せな時代だと思う。

さてもう一眠りして今日のインドの本命の相手のプレゼンに備えることにしよう。

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