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昔々のテレビの話

この前「タモリ倶楽部」が終わって「テレビのある時代の終わり」という文章を書いた。

これは「笑っていいとも!最終回SP」を生放送で見た時に感じた「テレビの終わりの始まり」に対応していて「(ある時代の)テレビの終わりの終わり」が放送されて、本当に終わったんだということです。
(どうも今日「オールナイト何とか」という番組が始まったらしいが、昔のテレビゾンビとして立派に生を全うして欲しいものだと思います。見ないけど)

さてそんな昔のテレビを僕がやっていた時の話を当時のスタッフが集まって証言したビデオを作りました。

21世紀への「年越しカウントダウンを間違えた日」の裏側がどうなっていたかを当時のスタッフが話しています。
「みんなのテレビの記憶」のアカウントを作って(無料)からしか見れませんが昔のこの時の記憶のある方には是非見ていただきたいです。
僕自身の記憶違いに気がついて結構ショックだったのですが、その辺りは

にすでに書いたので省略します。

とにかくテレビは「テレビ」と言うには全く違うものに完全になったのだと思う。どちらが正しいとかあの時代に戻るとか戻らないとか言う話ではない。お笑いが第7世代になったと言われるようにテレビも違う世代に入ったと言うことが先日の「タモリ倶楽部」の終了で移行が完成したと言うことだ。

だから「昔のテレビってこんなことやっていたんだね。こんなこと考えて作っていたんだね」と歴史を学ぶつもりで見てくれるといいなと思う。
感想は「へええええ」でいいです。

前世代テレビと今世代テレビの決定的な違いって何か?


これは人によって違う見方をするだろうが
長年考え続けてきてそれは「ビジネス」だと僕は思っている。
今世代テレビはちゃんとビジネスとして成立させることをやっているテレビで、前世代テレビはビジネスをちゃんと考えなくても何だか成立しちゃってきてた奇跡のようなことが起こっていたテレビだったと思っている。

映画ラジオからテレビの登場って、今のネット・スマホの登場と同じくらいにいやそれ以上に衝撃的で戦後の復興と共に超急成長をしていったのがテレビ産業だったと考えられる。そしてそこで番組を作っていたのは、つまり戦後復興の中で額に汗して働くとか企業戦士として外国に日本製品を売り込むとかそう言う人たちじゃなくて「楽しそうなことやりたい!」とか「音楽好きだぜえ」「お芝居をテレビでやるぜ!」とかいう不良たちだったのだ。
その不良たちが毎日毎日、毎週毎週、放送時間が来てしまうから「今週はこんなことやってやろう」とか好き放題やっていたんだ。それでもスポンサーはついた。とにかくすごい勢いでテレビは家庭に普及したんだから。
もちろんニュースや子供番組とか真面目な番組も作るようになった。でもその現場でも「テレビジャーナリズムとは何か?」とか「子供を正しく育てるテレビとは何か?」とかビジネスと離れたテーマで議論と挑戦が繰り返された。それでも営業収入は伸びていった。
もちろんじきに視聴率が導入されて各局、各番組の競争が始まった。視聴率がいい方が営業の売り上げがいいのだからそっちに向くのは必然だった。
でも実は現場の作り手はそれほど視聴率に必死にならなかった。なぜならまだ視聴率は悪くてもスポンサーがいないという状態は生まれなかったし、テレビ局も結局は終身雇用・年功序列の日本型企業だから視聴率を取ろうと取るまいとそれほど給料が違うものではなかった。だから視聴率は取ろうとはしたがそれと同時に「人より面白いものを作りたい!」を捨てなかった。マーケティングなんて単語を20世紀のテレビの制作者は一人も知らなかったはずだ。とにかく開局以来テレビ番組の制作者には”不良”の伝統が確実につながっていた。

しかし21世紀に入って本格的にネットが社会の中に入り込んできてまずネット民たちが「テレビ好き放題にやりやがって」ということでテレビに対しての攻撃が始まった。それまでは抗議電話とハガキだったから社内に留めることが出来たがネット民はテレビ局のウィークポイント、スポンサーを攻撃することを発見した。そして考えてみればテレビは国民の電波をお預かりしている公共性があるじゃないか?というこれも痛いところを突かれた。

痛いところを突かれてテレビ局がちゃんとしなきゃならないなとなっているところにネット・スマホが伸びてきて広告費がテレビからそちらに流れるようになった。視聴率で他局と争っている場合じゃない。テレビへのお金の流入が下がってきた。どうする?きちんと対応しなくては!
この辺りでテレビ局内の不良の出番はどんどん減っていった。不良はそんなちゃんとしたことは考えられないし外への対応に慣れてない。だって長年「もっと面白くしようぜ!」しかやってこなかったのだから。そしてテレビ局の中の”不良”因子は絶滅危惧種になり、先日絶滅が確認されたのである。

多分もう2度とテレビ局の中に”不良”の出番はない。

だから前世代のテレビの昔話としてこのカウントダウンを間違える年越し番組の話は残しておきたいなと思った。

ところで僕が豊田市のケーブルテレビ局ひまわりネットワークで始めた
「進め!豊田少年家族」には多分前世代テレビの残り香がプンプンしているだろう。

そこは気を付けなきゃいけないなあ、と思いつつ他の作り方知らないから仕方ないなあと。
でも「豊田市の人だけに向けて作るテレビ」地元吸着番組という今までにないものを作っているつもりなのでその味で昔のテレビの残り香はだんだん消えていくと思っている。


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