見出し画像

パペポTVを作った白岩さんと共振した

とにかく間が空くとnoteを書き出すのも億劫になる。昨日の電波少年WにパペポTVを作った白岩久弥さんにゲストに来てもらってなんか色々共感というか共振をしてしまったのだがその話なら書けるか?と思うが時間がない。
だから書けるところまで書いてあとで夜編集をしようと思う。中途半端でも公開してしまったほうが後に引けなくなるだろうということでおそらく途中まで。

一つ「わかる!」となったのが『なぜパペポTV を思いついたのか?」というアッコの質問に対して「「若い時にね考えて考えて訳のわかんない穴に入っていく。朝になると無謀なこと考えたかなって思う。”漫才とトークの間に面白いようなものがあるような気がするんやけど”って鶴瓶、上岡さんに言った覚えがある」と白岩さんが答えた時。
「今ない何か」を作りたいと思い、思い描いて、考えて考えて。ある夜「これか?」と思う。朝「違うか」とも思う。でも捨てられない。気になってしょうがない。「でも今ない」から検証できない。自分が「そんな気がする」しか頼るものがない。日々それが膨らんでくる。抑えきれなくなる。それを試すチャンスがたまたま目の前に現れた!試してみたい!でもまだ躊躇いがある。ええい!やってしまえ!
やってみた。やっぱりあるぞ!または「ちょっと違うか」もある。どこが違う。どこが自分が追い求めていた何かと違うのか?それを考え込む。見つけた!もう一度やる!ハマった!これだ!

多分そういうことだ。暗闇の中で一人もがき続けるような時間。白岩さんにはそのもがいた先に鶴瓶さんと上岡さんが微笑んで待っていてくれた。僕にはディレクターたちと作家たちがいた。あっことまっちゃんは素材だね。
そうやって「アポなし」を見つけたり「ヒッチハイク」を形にした。何度も「引き返そう」と思った。でも帰り道はなかった。前に進むしかなかった。幸にしてその先で形になった。それは形にしてくれたまっちゃんでありアッコであり猿岩石でありなすび達みんな、電波少年の出演者が形にしてくれた。でもそれは暗闇の中で「何かあるはず」という微かな光を感じる直感を信じる力があったかどうかだった。
そしてその直感は白岩さんが上岡さんが30分遅刻した時に鶴瓶さん一人で本番を始めたこと、の気づきを産んだ。直感に従って始めたからこそ、そこにあるべき「直感」が自然に生まれた。だから遅刻した上岡さんが始まっていることを知った時に「ニヤっ」と笑った。直感で始めなかったらこの正しい直感は生まれなかった。
猿岩石が飛行機乗ったという新聞記事が出たときに「番組内調査委員会」を作り僕が「あなたが指示したんですか?」という顔下半分のインタビューを撮影した。ヘリウムを打って声を変えて。
なすびのパンツを脱がすかどうかをマネージャーが最後まで反対した。「じゃあこの企画なしだから帰ってくれ」と言った。渋々承知した。
これらの判断は僕の中での「直感」に従っていたからすぐに判断ができた。「そうでなくてはならない」映像が確実に僕の脳の中にあった。直感とは運動神経に近い。

そうやって「人が人に面白がってもらえるもの」はできていく。
多分「人が人に欲しがるものを作っていく」ことも同じだ。それはマーケティングなどとは程遠い。将棋指しが最高の手を見つけるような直感。人間の中の野性。そこを磨き続けている人はいるのだろうか?

「今ないもの」で「次の時代を作るもの」は人の頭の中の暗闇の隅にひっそりとある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?