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分断が生まれている

新型コロナウィルスが世界中で分断を生んでいる。
”富裕層と貧困層”とか”先進国と発展途上国”でなく”自分の身の回り”に。

悲しいニュースである「新型コロナと最前線で戦う医療従事者の子供の保育所での受け入れ拒否」
何てことをしているんだ!とそのニュースを見ている多くの人たちは思っている。コメンテーターもニュースに出てくる医師たちも「絶対にあってはならないことだ」とコメントする。
でも逆にその保育園に自分の子供が通っていたら、と考える。
これだけ院内感染があるのだからそこで働く人が無症状のコロナ感染者じゃないとは言いきれない。だったらそのお母さんの濃厚接触者である子供が無症状で感染している可能性もあるじゃないか?だから自分の子供が通っている保育園には来て欲しくない。だから可哀想だけど保育園に言って来ないように言ってもらおう。少しでも自分、自分の家族がウィルスに感染しないようにしたい。自分のこととなった時にこうなってしまわないだろうか?
医療従事者が世界のいくつかの国で襲われているニュース。インドで検診に来た防護服を着た医療従事者が突然襲われた。コートジボアールで新型コロナの緊急検査所を建設しようとして焼き討ちにあった。フィリピンで防護服を着た医療従事者がいきなり殴られた。
これらの世界の出来事と繋がっていないと言えるだろうか。

一昨日の日曜日。僕の住む鎌倉は海岸とそこに向かう道が夏並みに大混雑した。地元は「外出自粛をなんだと思っているんだ?」「他府県からウィルスを持ち込んでいるんじゃないかと思うと不安でしょうがない」と言う声が出ているとニュースでやっている。地元のSNSでもそんな声が多数聞こえるようだ。来る人たちは「1週間ずっと家に籠もっているんだから天気のいい日曜日には広い海に来たいじゃないか?海は3密を避けられるんだから」と言う。自宅に長くいることで増えているDVがこの鎌倉の海に来たことで減るかもしれない、とは地元の人は考えない。そんなことより「持ち込まれているかもしれないウィルス」が問題だからだ。役所は何をやっているんだ!自警団が他府県から来る人を海岸でパトロールするなんてことも起きかねない。

日本中の観光地に閑古鳥が鳴いている。悲しそうに「例年の1割とかです」と言うコメントが流れている。でもこれが鎌倉のように殺到したらどうなるのだろう?めでたしめでたしとはならない。「都会からウィルスを持ち込むな」となってもし自粛しているお店と営業をしている店との諍いも生むかもしれない。

マスクが世界で取り合いになっているそうだ。空港で行き先の国が変えられたなんてニュースもあった。これが特効薬やワクチンになったらその取り合いになって戦争になることだって容易に想像できる。

自分の安全。自分の家族の安全。自分の街の安全。自分の国の安全。
これを求めることが争いと分断を生んでいるし、この先もっと起きてくる。このことを覚悟するしかないのだろうか?

分断と争いが何も産まない。言い方を変えれば”効率的ではない”ことを冷静になったときの私たちは知っている。しかし見たことのない新型ウィルスによって自分がパニックになっている。

解決の糸口はないのだろうか?一つは科学的数字の提示。
医療従事者のお子さんがウィルスに感染していないこと、またはその可能性の低さを科学的に算出して提示する。
海岸での過ごし方を人と人の間隔を空けることでの感染する可能性の数値の算出。海に来ることでのストレスの発散とDVの関係性の数値の算出。または鎌倉・江ノ島などの有名海岸でなく日本中の海岸への分散を誘導するアプリの開発。

こう言う時こそ行政の出番だ!と言うことは簡単だがそこで思考停止になってしまってはいけない。

ガガが呼び掛けたチャリティーライブ「One World: Together At Home」、世界中で行われている決まった時間の医療従事者への感謝の拍手のように
感謝し合うこと。励まし合うこと。許し合うこと。譲り合うこと。
このことを人類は長い歴史の中で勝ち取っているのだと証明できることを心から祈る。そしてその心を獲得したことの手助けに「文化・芸術」がなったのだと不要不急の”コンテンツの作り手”である僕はちょっとは思ってもらいたい。

今日から海岸線のジョギングを再開しよう。ジョガーの山中伸弥教授が推奨したBuffを通販で手に入れたから。それが科学的に人への感染を防ぐことが証明されているから。あ、トップの写真の青い布切れに見えているのはそのBuffです。

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