#009 上手くいかない時ほど「運動」することは有効的です。
思い通りにならない時や上手くいかない時ほど運動に勝る薬はありません。
一般的に不幸を遠ざける方法として「考え方を変える」方法があります。
この事をごくシンプルに言えば、「ポジティブになる」ということです。
しかし、それは本当に正しい方法ではありません。
なぜなら、人が本当に辛いとき、苦しいときに「思考」を変えることは全く力を持たないからです。
「ネガティブ」な時に無理やり「ポジティブ」になることほどエネルギーを消費することはありません。
そうではなく、必要なのは適当な運動をやってみることです。
適度な運動はたちまち体内の血液循環を良好にし、気分を和らげてくれるはずです。
しかし、通常は本気で落ち込んでいる時に運動なんて全くする気にはなれないし、そんな簡単に今の状況が好転するはずはないと当事者は考えます。
しかし、自分の経験上、憂鬱には運動がもっとも有効的です。
心と身体は繋がっています。
例えば、悲しい時は背中が丸くなり、興奮しているときは腰が反りかえるでしょう。また、落ち込んでいる時や怒っているときに心の底から笑う事はで出来ません。
「行動」と「想像」を同時に行うことは出来ないし、人の苦しみの多くは「想像力」によるものです。
だからこそ体を動かせば気分は楽になるのです。
また、不幸の原因は全く別のところにあったりします。
本当の原因さえわかれば多くの場合、対処法はさほど難しいことではないありません。
しかし、人は苦しみばかりをみてしまうため原因に気付かずにいることが多いのです。
それらを解決する方法、その対処法が運動なのです。
つまり本当の原因とは体の状態に関係していることがほとんどです。
不機嫌だったり、苦しんでいる人は少なからず体の筋肉が緊張しています。
だからこそ運動によって緊張を解き放てばよいだけの話なのです。
どんな好ましい出来事に対しても、
人は幸福を求めているようで、苦しみを求めて苦しみを愛しているように見えます。
通常、人は襲ってくる「情念」を「意思」の力で抑制出来るものです。
しかし、たいていの人は、みずからの「意思」を捨てて「情念」に身をゆだねてしまうのです。
「意思」の力を奮い起こすより、「情念」に身をゆだねるほうが楽だと感じてしまうからです。
さらに「情念」に支配されるとタチが悪くなります。
情念に支配されると「意思」の代わりに「情念」をふりかざし、どんな好ましい出来事も遠ざけてしまうのです。
その結果、当事者は悲劇の主人公となってしまいます。
不幸を強制しているのは社会でも環境でもなく、他でもない自分自身なのです。
このような「情念」に対抗するためには強い「意思」が必要です。
運動はこの「意思」を鍛えてくれます。
「意思」を鍛えることで「経験」を積むことができます。
その経験を積むことで情念に支配されない「意思=軸」が形成されるのです。
運動は良薬です。
どんなに優れた薬よりも運動に勝る薬は存在しません。
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