私のラジオは好きな曲

雀ネーム?あの「朱きヴァルキュリア」とか「魔王」とか「卓上のヒットマン」みたいなあれ。

私もなんかいいのあるかな?と思って考えついたのが
「亀の甲より四暗刻」
だった。

いや、ラジオネームか!
これを人に話したらダセェと一蹴されたのでもうお蔵入り。
何かいいのあったら教えてください。

「あだ名のセンスはラジオネームに適するものとそうでないものがある。
後者をつけることができるのがネーミングセンスがあると言える」

私の持論なのだが、簡単に言うと、

ラジオネーム「てっちゃん」さん
より
ラジオネーム「亀の甲より四暗刻」さん

の方がラジオネームに適しているっていう話である。
割と的を射てるのではなかろうか。


中学生の頃からラジオリスナーだったこともあって、それなりに知識範囲は広がった。
特に音楽方面において顕著で、その中でも私が生まれるちょっと前の歌とかは知っている方だと思う。

前によく行っていた雀荘で同卓していた爺ちゃんに

「この曲なんだったっけ?」

有線の曲についてだった。
聞かれた私は

「えっと、あれですよ、夜明けのスキャット!」

と咄嗟に答え

「いや、なんで知ってるの?」

って言われたこともあるくらいだ。うん、聞かれたからやん。

調べてみたらこの曲1969年にリリースされていた。
我ながらなんで知ってんだ?

とはいえ、ラジオのリスナーは私より年上の人が多く、その人たちがリクエストする曲は私の世代よりちょっと上になるのも頷ける。

同世代だけではなく、ちょっと年上の人と話が合うのも、ちょっと上の世代の流行を知っているのも、ちょっと老けて見えるのも決して見た目だけの問題ではないと思っている。

私のヘビーリスナー時代の思い出はここに綴っているのでよろしければご覧あれ。


先日YouTubeにてこの動画が上がっていた。
高橋優さんといえば私は甲子園のテーマソングだった「虹」とこの曲が私は好きだ。


ふと流れてきたこの動画なのだが、私にとって1つの思い出が蘇ってきた。

中学3年生のある日、私は学校見学へ行った。
京都に住む私は、第一志望はもちろん京都市内の高校だった。
ただ、記念受験というか試し受験というか、練習というかで、京都より受験日が早い奈良県の私立高校も受験する予定だった。

名前は伏せるがその高校の見学である。

私が不登校だったためか、京都に住んでいたためか、わざわざ教頭先生が個別で対応してくださった。
たしか、合同説明会に参加して、ことの経緯を話したところ、この提案をしてくださったのだと記憶している。

そして当日、そう、あれは土曜日だった。
朝から母が運転する車で京都駅へ。そこから2人で近鉄電車に揺られて奈良県へ。色々乗り換えて駅に着く。
駅の目の前が学校だった。

守衛さんにご挨拶、提案してくださった教頭先生と合流していざ見学へ。
そこは中高一貫校だった。
そこで、同級生になる予定の中学3年生の授業の様子を見学し、校内の施設を案内してもらって、ちょっと立ち話をした。
そこでちょうど休み時間になって、生徒たちが皆一斉に出てくる。そんな様子が気に入ったのを覚えている。

学校を後にし、お昼に何を食べようか、なんて言いながらうどんかラーメンかを食べたのだろう。私の映像記憶も役に立たず、本当に覚えていない。

ただ、その後にただ帰るのも。となり、

「菅原道真ゆかりの神社があるらしい、せっかく奈良まで来たし、寄ろう」

そう母が言い出した。

「めんどくさいけど、別に一回外に出たら一緒やし」
という私の本音が伝わっていたかどうかは分からない。
迷いながらその「菅原天満宮」という目的地へ向かう。

BGMは当時楽しみにしていた
「南山千恵美のミュージックスマイル」である。
これがあるからあの日が土曜日だったことを思い出せるし、恐らく朝は「サクサク土曜日中邨雄二です」を聞いていたのだと確信できる。

いつもの携帯ラジオを片手に、一本しかない付属のイヤホンを左耳に入れて、音楽を聴きながら母と歩く。
当然会話もするし、道に迷っていることも知っていた。

家の前を掃除をしていたおばちゃんに道を尋ね、丁寧に教えてもらったりもした。
右へ左へ、歩道と車道の境がない、細道でも大通りでもない田舎道を歩く。

時折電波が悪くなるし、別にそんなに神頼みに全力を注げるほどの信心を持ち合わせてはいない。ひたすら母の何かに縋りたい気持ちか、興味本位かについていく。

ようやく到着したそこは、立派な境内がある訳でもない、地元の人からすればなんてことのない場所だっただろう。
お賽銭を投げ、一礼し、その場を後にする。来た道を引き返し、ラジオで聴いたことのあった柿の葉寿司を手土産に、近鉄電車に乗り込む。

乗り込んだのは、座席が新幹線タイプの、たしか特急だった。
窓際の席で揺られながら、ラジオを聴いていた。

学校見学、どこかただの施設見学のようなそれを振り返り、休み時間にはしゃぐ同級生を思い出す。

私は不登校だったが、勉強ができなかった訳ではない。ただ、高校に行けなかったらどうしようという不安はずっと付き纏っていたし、いずれにせよ通学路は遠くて長いし、そんなことも考えていた。
母の気持ちを想像するならば
「どこでもいいからいい高校に行ってくれ」
であっただろう。

ふとラジオから、CM終わりに流れてきたのが「明日はきっといい日になる」だった。
それはRihwaさんのカバー版だった。
CMで聞いたことがあるような曲、最初はそんな感想だったと思う。

「2番ってこんな感じなんだ、駅を通る一瞬は電波が悪くなるから早く抜けてほしい」

電車に揺られて、話しかけてくる母に愛想のない返答をしながら、この曲を聴いていた。

口は悪いが、別にこの曲を聴いてモチベーションが出たでもない。
背中を押されたでもない。
ただ、私はこの曲を聴くとあの帰り道を思い出す。

少なくとも母に心配はかけまいと勉強したこと。
英語だけだが、受験者の最高得点を取って合格したこと。
結果他の高校に受かったから行かなかったこと。

そんな事実と感情を思い出させてくれた。

ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡

先日有線で好きな曲が流れていた。

「この曲をどこかで同じタイミングで聴いている人がいるんだろうなぁ」

ふとそんなことを考えて、ラジオのヘビーリスナーだったことを思い出した。
時間を共有している。思い出を共有している。
そんな感覚が私は好きだったのだと思う。


あの日の匂いも、風景も私は覚えている。

今日も月がキレイだ。

きっと、どこかで、同じ空の下、この月を見ている人がいるんだろうなぁ。

君が笑えばいい日になるから。
私も明日で笑ってる。

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