お風呂の温度は39℃
カレーは中辛、布団は羽毛。
10月も下旬に差し掛かり、寒くなってきたからもうちょっとお風呂の温度を上げてもいいよ。あと布団の素材そんなにこだわったことはない。にっちもさっちもどうにもルンパッパ、ってことで、今回のテーマはポケモンです。
2000年生まれ24歳、クリスタルと同い年の私のポケモンとの歩みをかいつまんで紹介していくのでよろしければこの先少しお付き合いください。
幼少期
主に幼稚園児時代を指す、だいたい20年前、私はポケモンと出会う、正確にはすでに出会っていたのかもしれないが、ポケモンが好きだった。小さい男の子の好きの相場はヒーローものもしくは乗り物系のどちらかと言われる。私は前者でウルトラマンとか好きだった。それでも特に好きだったのはポケモンである、ただポケモンと出会ったきっかけはよく覚えていない、きっとアニメの影響が大きいのだと思う。
今でも覚えているのは、親戚のお姉ちゃん(たしか5つぐらい年上)がゲームボーイアドバンスとクリスタルのソフトをくれたこと。金銀のマイナーチェンジとして出たソフトで、私が初めてやったゲームである。晩ご飯を食べた後、1時間だけという約束で台所でゲームをしていた。自分の家から出て冒険が始まるのだが、当時幼稚園児で何も勝手をわかっていない、ゲーム機の色もなんか薄い、2階から降りてきて1階の玄関を出るのも至難の業だった。それでも、10分ほどガチャガチャやっている間に外に出られたら冒険のはじまりだ。隣の博士の研究所に行き、最初のポケモンを選び、隣町に向かう。そこでは道案内をしてくれる老人がいるから、それについて行く。その町から北に向かう道の最中でトレーナーと戦う(だいたいたんぱんこぞうかミニスカートかむしとりしょうねん)だいたい3人くらい倒したところで1時間が経つから電源を切ってまた明日。お風呂に入る。
以下その繰り返しである。
昨日はチコリータを選んだから今日はワニノコだ。この上に行ったらイワークがいるんだぜ。
ホーホー捕まえられた、やった。
変化と言えばこのくらい。やはり自宅を出るのには四苦八苦した。そんなある日、私はごねた。「せっかくいつもより長く冒険できたから、もう少しやりたい。」と。母と問答している最中、父親が言い放った。「それセーブ機能ついてないの?」私は何を言ってるのかわからなかったが、母がゲーム機を触り、「このレポートってやつそれじゃない?」と言い出した。今となって思うのは、「そんなもん早く教えてくれ。」である。息子のエンドレスエイトをなんやと思ってたんや。もっと早めに教えてくれたらもっと色んなことできたやん。
ただ、その後ゲームボーイで遊んだ思い出が薄いことから、記憶の定着において繰り返しって大切なんやなぁと切に思う。何度も何度もやったことって知らず知らず覚えているものである。
話が少し前後するのだが、この約10年後ソウルシルバーというリメイクをすることになるのだが、やはり隣町に向かう道筋と話の流れは完璧に覚えていた。
クリスタルの思い出があまり残っていないことにはもう1つ理由がある。
「エメラルド」私が初めて買ってもらったゲームである。レポートを覚えてから少し経った頃、DSと共にこのソフトを買い与えられた。「ゲームは1日1時間。親が充電する、その場所は教えない」等のルールは設けられていた。クリスタルと打って変わってキレイな画面、ちょうどアニメで見たことがあるポケモンが出てくる目新しさは感動だった。ちなみにDSの充電場所がトイレの前の棚の裏であることは後々知るのだが、きちんと約束は守った。
DSの設定を終え、主人公を選ぶ際私はこう考えた。
「これまでは何度も名前を決められた。なぜなら毎日データがリセットされるから。母の名前、父の名前、友だちの名前、自分の名前、色々つけた。でもレポートできるから今度の名前は一生ものになる」
私の名前はテツヤである。だいたいてつやくんのあだ名なんててっちゃんだと相場は決まっている。御多分に洩れず私だっててっちゃんと呼ばれていた。
「せや、女の子主人公にして名前“て”にすればてっちゃんって呼ばれるやん!」
さすが自称IQ125なだけはある。
幼少期から頭はキレるほうだったみたいだ。
アニメの影響でハルカが好きやったし、ちょうどええわと思ってゲーム開始、こちらもやはり、自室の2階から1階に降りると母親に呼び止められる。
「おはよう、て」
これはなかなか衝撃だった。「まぁそうか、みんながみんなちゃん付けしてくれる訳じゃないもんな。でもちゃん付けしてくれる人も多いやろうから」
5歳だったか6歳だったか、それなりにこの程度ではごねないくらいには大人の感性を持っていた。
自宅を出てなんやかんやあって博士に初めてのポケモンをもらう。
オダマキ博士がこう言う。『てちゃん』
我ながらこれは衝撃だった。
「あ、“てっ”にしないとちゃん付けされても“てっちゃん”にならへんやん。」
私の人生初めての挫折の瞬間である。ゲーム機を持って固まった、「うわ、やってもうた」と。初めからやり直すにはあまりにストーリーを進めてしまった。ゲームを買ってもらった当日、その日の頑張りを無に帰す訳にはいかないので「て」という名前でこの先ホウエン地方を冒険することになった。これがIQ125のポンコツたる所以である。詰めが甘いのよ。
その後なんやかんやあってエメラルドをクリアし、なんやかんやあってサファイアも買ってもらいそれもクリアした。サファイアの方は大人しく男主人公、名前はテツヤでクリアした。最初に選んだポケモンはエメラルドがキモリ、サファイアはミズゴロウ、色で選んだ。てな訳でやはり橋の下ハルカは苦労した思い出がうっすらとある。
本編から離れると、ポケモントローゼというゲームをよくやっていた。その他にもポケモンレンジャーに青の探検隊に、まぁ色々とやっていた。
アニメも好きだったし映画も毎年観に行った。事あるごとに買ってもらったポケモンカードも実家に眠っている。当時は神経衰弱にしか使ったことがなかったが、今でも使えるんなら本来の使い方をしてあげたいなと思ったりもする。ポケモンパンのシールもやっぱり山ほど眠っている。
まぁその甲斐あってか幼稚園を卒業する頃にはひらがなカタカナ全部読めていたしそれなりに書けてもいたらしい。字が汚いのは当時から変わっていないのだが。
小学生時代
小学1年生の頃だったと思う。ダイヤモンドパールという新作が発売された。前情報がほどほどに飛び交う中、私は当然買ってもらった。小学生にもなると友達も出来るし、一緒に遊ぶのに必須だった。サファイアから連れてきたカイオーガなんかは羨望の眼差しを向けられた。
初めて色違いというものを見たのは黄色のマリルリである。友だちのお兄ちゃんからもらった。当時は嬉しかったのだが、今から思うと出所が胡散臭いかもしれない。
プラチナというマイナーチェンジが出されたのはその数年後、バトルフロンティアという施設がありよくやっていた。何も知らない私は当時ボコボコにされたし、レンタルポケモンで戦うバトルファクトリーは好きだったが、せいぜい3勝がいいところ、当然なかなか勝てなかった。唯一バトルステージは50勝して銀プリントを貰えていた。
ハートゴールドソウルシルバーという最初にやったクリスタル世代のリメイクが出たあたりからは弟もポケモンに手を出し始めていた。祖母から半ば無理やりもらってきた黒いDSが弟の専用機だった。
ソフトについてきた「ポケウォーカー」という万歩計は、ポケモンを連れ歩けるという機能がついていて、なんか珍しいポケモンをそっちで捕まえられると噂になっていた。気になるし、ゲームだって1時間限定だ。そのため、畑の手伝いをする時にも、汚れないようにポケットに入れながら足を動かした。遊びに行く時だって一緒だ。大して歩いてもないのにチラチラ確認したりもした。
1週間ほどした頃だろうか、洗濯機の中から私のポケウォーカーが見つかった。真っ黒な画面から動かなくなって、母親から渡された時の絶望感は今でも覚えている。私はやはり大人だった、「それのためにもう1つゲーム買って」なんて言うはずもない、ただ現実を受け止めた。ごめんね、私のイシツブテ。
一昨年くらいに弟に聞いてみた、「あれ?そういやポケウォーカーってあったよな、あれどうしてた?」弟の回答も洗濯機だった。当時の全国の小学生のポケウォーカーは洗濯機によって滅んだんじゃなかろうかと私は思う。
ポケモンダンジョンもやった、他何かあったかな、と思ってもそんなにないか。ソウルシルバーをやったのが小学4年生とか5年生とかで、一応次の世代のホワイトも買ってもらいはしたがあまり記憶に残っていない。アニメもその辺りで離脱しているのでイマイチ覚えていない。私のポケモン全盛期でいくと小学校入学前後であると言える。それが約10年後に全盛期がやってくるのだから面白いのである。
大学生時代
中学高校でポケモンに接することはほとんどなくなった。しかし大学生になると2回生からコロナ禍になった。まぁ暇で、しょうがないから実家に眠るDSと、小学生の時触って以来だったゲームソフトを片っ端から探し、プラチナとサファイア、あとポケモンダンジョンを探し出した。
プラチナはバトルフロンティア攻略に向けて、バトル全力を注ぐことになるのだが、この辺りの話はまた日を改めて書くことにする。
サファイアに関しては初代DS、もしくはゲームボーイアドバンスが必要だったため、初代DSをメルカリで買った。1300円とかだったと思う。ダメ元で買ったところ、画面に光が割って入ってはいるが問題なく進行できた。データを削除し、主人公は当然ハルカ、名前は「てっ」である。私だって15年の時を経て学習しているのである。
私のソウルシルバーは見つからなかったので、弟にハートゴールドをもらい、データを削除し、最初からやった。もちろん大切そうなポケモンは私のプラチナに移してからだ。
自宅を出発、隣町に向け歩き出し、街を案内してくれる老人、かつて何度も見た光景が再度目に入ってくる。
10〜15年ぶりのその光景はやはり感動した。懐かしさも相まってすごく楽しかったのを覚えている。
また、ポケモン映画の再放送があった。投票で選ばれた上位3作品、どれも思い出深かった。
水の都の護神は小さい頃1回だけ見たことがある。DVDだったかな。懐かしかった。その前に自宅のDVDで何度も見た星空ピカピカキャンプで泣かされるとは思いもしなかったが。ネイティオの号令が私は好きである。一緒に観に行った弟に上映前聞かせたところ、納得と共に「なかなか似てるやん」と言われるくらいには自信ある。
七夜の願い星は私が初めて観に行った映画である。こちらもDVDで何度も何度も見た踊るポケモン秘密基地に感動を覚え、本編でも泣かされた。私がフライゴンが好きな理由の7割はこの映画によるものだと思う。小さきものはやはり名曲。
ディアルガvsパルキアvsダークライ、は先行上映で見に行った。場所は京都の街中のKBS京都だったと思う。他の誰よりも先に見たことと、映画館だともらえたたしかダークライを貰えなかったことははっきりと覚えている。
余談ではあるが、この主題歌が去年行った歯医者さんで流れていた。オルゴールバージョンでも気づけた自分を誇りに思う。
私は小さな頃好きだったものは今でも好きなんだと思う。トムとジェリーとか。僕らの夢は決して眠らない、いつだってワクワクしたいのである。輝く瞬間を探しているのである。つまらない大人にはならないように、今を頑張ろうと思えるのはポケモンのおかげなのかもしれない。
ここまでご覧くださった皆さまありがとうございました。ポケモンを知っている方、同世代の方に楽しんで頂けていると嬉しいです。
まだまだ書きたいこととか色々あるんですけど、また別の機会だったり、話す機会があると嬉しいです。
文字数的に収まり切らなかったバトルフロンティア攻略篇はまた今度別枠で用意する予定です。よかったらそちらも見てやってください。
p.s.ポケモンカード有識者の方、我が家に眠る15年ほど前のカードでもまだ戦えますか?よかったら教えてください。