イエスか農家
この前知り合いに「ちょっと声大きいから静かにしいや」って言おうと思って、「〇〇さんええ声してんなぁ」って言ってみた。
ありがとうございますって言われた。
しっかり流れている京都の血を感じた瞬間だった。
京都を去り関東に来て2年が経とうとしてるが、今でも「関西の方ですか?」なんて言われることが多い。色濃く残る関西弁だって私のアイデンティティらしい。私にしてみりゃこれでもだいぶ抑えている方である。それに、イントネーションが変やなと思うことも増えてきた。
私は京都の中でも田舎の方で生まれ育った。
いわゆる「ザ・京都人」からすれば京都じゃない方の出身である。一応京都市内だけれども、見渡す限り畑だらけ、実家に至ってはストリートビューに映らないという辺境の地に存在している。
祖父が生まれたタイミングで建てられたらしく築90年ほどになる。雨漏りはするわ屋根裏にアライグマがおるわ、窓からヘビが入ってきたこともあったか。ゴキブリホイホイに引っかかったネズミを父親が可愛がっていたこともあった。(確か名前はジェリー)
言ってしまえば虫と共存しているようなド田舎である。
御多分に洩れず、実家も農業をやっている。
春は筍、夏はナス、秋はお米、冬は葉っぱ類(ほうれん草とか)、そこに父親のお試し枠が入ってくる。紫キャベツとかわさび菜とか冬瓜とか。昔はイチゴを作ってたような記憶もある。だいたい「作るの難しかったわ、鳥に食われてしもた」とかなんとか言って、モノになるのは私の体感で半分ぐらいのものだった。
来月12月の上旬には実家の手伝いも兼ねて帰省しようかと考えている。両親とも還暦も近くなってきたし、祖父母に関しては最近引退した。
高齢者に片足突っ込んできた2人のお手伝いである。
冬場に何を手伝うかってタケノコである。
タケノコに限らずだが、小さい頃から何かにつけて手伝ってきた。特に小学生の頃はタケノコを探すのが得意だった。クラス替えの自己紹介の時に特技として発表するくらいには得意だった。
タケノコを見つけるのって案外難しい。というのは、土から顔を出すか出さないかくらいの代物を見つけないといけないからだ。土から出過ぎているタケノコは黒ずんでいる。(確か空気に触れるからだったはず)。いいタケノコってのは白いんだって小さい頃から言われて育った。そのため、土の中に埋まっているタケノコを探して掘る。これが案外難しいが楽しい。小さい頃は、私と弟、母と祖母がその担当。竹藪を歩いて、足元の違和感を探す。その辺りを少し手で掘り返してみると、タケノコが見つかるから、笹とか枝とかを刺しておいて、目印にしておく。父親と祖父がタケノコを掘る担当だから、その目印を見つけて掘る。その繰り返し。もちろん掘る担当の2人も探す訳だから、我々ちびっ子はいかにいいタケノコを数多く探すかで競争する訳である。
高校生になった頃からは私も掘る担当に回っていた。その頃には祖父母は離脱していたような気もする。タケノコを掘るのは難しい。器用じゃない私にとっては探し回っている方がよっぽど楽しかった。
話を戻すと、12月に帰ってタケノコの手伝いをする。と言ってもまだ掘る訳じゃない。暖かくならないとちゃんとタケノコも出てこない。何をするかってタケノコが出てくる準備をする訳である。秋に稲刈りをするけれども、田植えは春にするのと似たような理屈である。
「たけやぶ」と聞いて思い浮かぶ光景はこんな感じだろう。ただ、写真を見てもらうと、手前の地面と奥の地面の色が少し違うことに気づいて頂けると思う。
そう、この地面の色を変える作業が冬の仕事なのだ。
竹藪の地面は基本的に藁が敷いてある。稲刈りをした後に残ったものを竹藪に撒いている。(と私は思っているのだが、この辺りもしかしたら間違っているかもしれない。)
そこに、竹藪の側面、言わば壁のような断面を削って、土を被せていく。その作業が済んだものが写真で言う奥の茶色いところにあたる。
“小さい頃は”、と言っても中高生時代だが、機械で断面を削るのが祖父の仕事、ガソリンで動かすリアカーみたいなものを使って運ぶ父親、地面をならして、土の厚さを整えるのが母と祖母の役割だった。
じゃあ我々兄弟はいったい何をしてたんでしょうか?
「答えは一輪車で土を運ぶ」です。
4輪の大きい機械ではいけない細いところを埋める、あとはひたすら数を稼ぐことが目的。写真自体うちの竹藪だが、これが割と広い。
端から端まで、傾斜があるとは言え歩いて5分くらいかかってたはず。
毎日この作業を1週間やったって終わってなかったはずだから、なかなかに広いのだと思う。
ひたすら一輪車でこのリアカーの合間を埋めて、なるべく早く土を運べるように構築していた。「ガソリン代浮かせるぜ」が合言葉だった。ハードワークを必死にこなし、疲れたら休んで、土をならす方に回ったり。そんなこんなで「土入れ」と言われるこの作業をしていた。
今では動けなくなった祖父母の代わりに両親が2人で、あるいは父親が1人で作業をしている。1人で断面を削って、運んで、ならして。
てなわけで、帰省ついでに手伝おうか。正確には手伝うついでに帰省しようかとなった訳です。恐らく初めてリアカーを動かすことになるのかな?ペーパードライバーとしては一輪車で体力勝負に持ち込む方が楽だったりするかも。なんて思いながら、言われたことをやる所存であります。
お年寄りが多い地域のため、この作業ができない。けれども竹藪を持ってるしタケノコを掘りたい。と考える人もいる。そんな時に駆り出されるのがうちの父親みたいな比較的若い働き手である。
たぶん農協から委託されてるんだと思うが、だいたい同じぐらいのおっちゃんか、もうちょっと上の世代のおっちゃんかが5.6人くらいで上記の作業を繰り返す。
40代50代でも若手とされるんでしょう。致し方ないですが、農業界なんてそんなもんです。実際後を継がない私みたいなのが多いので、やっぱりそうなるのです。
私も高校生ぐらいの時は冬休みとか土日とかで、こういうバイトをしていた。父親が斡旋してくれるので、休み返上で働いた。それでも年に4.5日だった気がするが。高校生時代太っていたとはいえ、それなりにパワーがあって若いため、それなりに重宝されていた、はず。
それなりに喋りは立つ方なので、おっちゃんたちとも仲良くやりながら。
いつも演歌を聴きながら断面を削るおっちゃん。(演歌のおっちゃん)
俳優の伊藤淳史さんに似てるおっちゃん(バチスタのおっちゃん)
ピンクのタオルを巻いてるおっちゃん(ドルオタのおっちゃん)
()内は私が勝手に裏で呼んでたあだ名です。
たしかみんな農協の人だったはず。私に気を遣って仲良くしてくれたいい人たちです。
特にバチスタのおっちゃんは仲良くしてくれました。
私と同世代のお子さんがいらっしゃったはずで。
寒い竹藪の中、お昼に食べるカップラーメンの美味しいこと。みんなで持ち寄って食べるのです。
3時ごろにはみかんとか食べながら、ひたすらに一輪車を運転して、そんなに広い竹藪じゃなかったこともあり、2日もあれば完遂していました。肉体労働だけあって、バイト代もなかなか美味しかった思い出が。
タケノコってたまに食べたくなるんですよね。ただ、タケノコに限らず我が家の食卓に並ぶものはいつだって傷がいったり、虫が食ってるやつでした。
ここからは農家の裏話みたいなものになりますが、野菜の良し悪しって結構見た目で決まります。タケノコの黒いのは良くない。なんて最初に書きましたが、それはそう。ただ、虫が食べてるほうれん草と、そうでないほうれん草の間に、明確な味の良し悪しはありません。なので、出荷するやつは綺麗なやつ。うちで食べる、あるいは知り合いにあげるのはそうでもないやつというのが昔からそうでした。友だちの家に野菜を持って遊びに行くと友だちのお母さんにだいたい喜んでもらえました。
「そんなにいいやつちゃうんですよ」
って言いなさいよって母親に言われて持っていくやつです。
ただ、それでも喜んでもらえると私は嬉しかったのです。
小学生の頃、父親に宿題を頼んだことがありました。テーマは「親御さんの職業について」とかだったと思います。
晩ご飯を食べた後、父親に聞いて書こうと思っていたところ、そのプリントを持って部屋に篭り、ちょっと時間が経った後、裏返しにして渡されました。
「仕事の中でやりがいを感じること」とか「仕事の中で誇れること」はなんですか?みたいな問いかけだったと思います。
大きな四角形の中に小さな文字で、それも下手くそな字で
「自分で作った野菜を、美味しいって食べてもらえるのが嬉しい」
って書いてありました。適当にヘラヘラして答えときゃいいのに。なんて思ったのが私の感想。それでも、マジメで恥ずかしがり屋な父親の一面を誇らしく思った思い出が今でも残っています。
私だってそうで、多少手伝った程度にしろ、自分の家で取れた野菜を美味しいって言ってもらえたら嬉しいし、蔑ろにされて雑に扱われていたら悲しいなと思ってしまうのです。
好き嫌いは仕方ない。現に私だってチーズとチョコレートが大の苦手です。ただ、食品を雑に扱ったり、残したり、というのはなんだかなぁと思ったりしてしまいます。
どこかで、私たちが作った野菜を美味しく召し上がってくれている人がいるなら、それはとっても嬉しいことです。
あくまで私の偏見と、偏った知識です。もしかしたらうちではそうってだけで世間一般みんなこうって訳じゃないかもしれないです。その点を念頭に置いてくださると幸いです。あまりにも間違っていたら削除するつもりです。
あんまり面白い文章かけなかったな笑
ではまた、どこかで。