給料上げないとこの国やばいよって話
こんにちは、蓮城徹です。
先日会社から貰ったボーナスが、思っていたよりも少なかったのでこの記事を書いています。
いや、給料はたくさんほしいですよね?
巷では円安やウクライナ戦争、コロナ禍の影響であらゆるところに物価高の兆し(というかほぼ顕在化)がありますが、会社員の給料はそうそう簡単に変わりません。
私の勤めている職場で言えば、年に1度の定期昇給があって、あとはボーナス頼りです。勿論、このnoteをご覧になっている方の中には「定期昇給は2回あります」とか、「ボーナスなんてありません」とか、いろいろな労働条件で勤めている方がいると思いますので、良い悪いというわけではないのですが。
つまるところ、年1の昇給ということは、情勢に合わせた給料調整ができるのは年1回、もしくはボーナスでしか行えないのです。なんという硬直化した制度!
もちろん硬直化していることには利点もあって、少なくともこの国では安易に給料を下げるということはできないようになっている(法制度ではなく、社会の合意が得られない)ため、被雇用者は先の家計の見通しを立てながら生活をすることができるわけです。他方、会社(≒経営者)は昇給に及び腰になりがちですが。
しかし、給料が上がらないので、物価高は事実上の減給になりますね。
別に懲戒を受けたわけでも何でもないのに減給とは実に認めがたい話です。コロナ禍前は、政府が経団連などに昇給などを呼び掛けていましたが、経済的に冷や水を浴びせられた現在、なかなか同じことは言えないでしょう。
そもそも、かつては「労働組合」なるものがそれぞれの会社にあって、昇給額やボーナス額について会社側と対峙していました。いろいろあって今はどこの労働組合も廃れつつあるようですが。1社員が経営層に「給料上げろ!」と飛び込んだところで、体よくあしらわれるか悪ければクビです。しかし、労働組合は集団になり、また「団体行動権=ストライキ権」を保持することによって給料交渉を成り立たせてきたわけです。まさに力なき言葉に意義無しといったところでしょうか。
ところが、労働組合が事実上の機能停止状態に陥ってしまった昨今はその代役として政府が昇給の旗を振るという珍妙な状態になっています。
国内の状況を見るとストライキを実施した時に世論がストライキを味方することは考えづらく、むしろ「サービスを提供しない労働者側」が悪いと捉えられがちです。これもまた、労働組合が弱体化した要因でしょうね。
話が四散していますが、政府が昇給の旗振りを行うというのはつまるところ国家の運営において昇給が正の効果をもたらすと考えているからに相違ないでしょう。昇給して国家にデメリットがあるならば、旗振り役にはなりませんからね。
国家経済的に昇給がメリットがあるとするならば、同じく国家の経済活動の一部である会社(≒経営者側)がバンバン昇給させないのはなぜなのでしょうか。
やはり給料が会社にとっての負債になるからでしょうか。簿記に基づくと、給料は負債に仕訳されます。経営陣を評価する通知表は損益計算書や貸借対照表に寄るところになりますから、特に理由もなく負債を増やすことは会社の所有者である株主が認めないでしょう。
そのため「政府に言われたから仕方なく上げるんですよ」とか「労働組合に~(略)~」といった理由付けを株主に表明したうえで、負債の増加もとい昇給などを行うわけですね。
経営陣の進退は上記の通知表によるところが全てといっても過言ではないですから、いくら情に訴えて給料上げてよといったところで効果はないでしょう。
しかしながら、給料を上げないというのは社会的によろしくないと思うわけです。労働者はすなわち消費者の一部でもありますから、業種によっては自社の顧客の中に自社の社員が含まれるところもあるはずです。その人たちが給料が少なくて製品を買えないとなれば、それは顧客の喪失につながるわけです。
普段あれだけ「顧客を増やす」ことを企業活動の重要なファクターとしている会社が、自ら顧客を減らすことをしているようでは無駄骨ですね。
という正論を言っても、先の理由によって経営者は簡単にウンと言えない環境下にあります。在職中に給料をいかにちゃんと上げたかといったところも、経営者を評価するポイントに入れてあげなければいけないのではないでしょうか。そうすれば、経営者側が給料を引き上げるインセンティブになると思うのですが……。