梶谷善久 先生が話してくれた記者クラブでのできごと
梶谷善久 先生が話してくれた記者クラブでのできごと
最近、首相とメディアの馴れ合いが話題になっています。
御用メディアとしてわかりやすく、そう認知されている社だけでなく、その他の大手メディアもこぞって、首相と会食をともにしています。
つい、最近、朝日新聞でもこんな検証?弁明?記事が掲載されていました。
首相と会食、権力との距離は 記者ら飲食ともにする懇談:朝日新聞デジタル
こうした話題を目にする度に思い出すのが、私が文化学院の学生だったころ講師のジャーナリスト 梶谷善久先生の講義で聴いた話しです。
かれこれ40年弱も前のことなので、少々記憶はあいまいですが大意は間違いないかと。
ジャーナリスト 梶谷善久
本題の前に梶谷善久先生のことを記しておきます。
梶谷善久先生は朝日新聞記者時代労組の委員長として活躍していましたがレッドパージで不当解雇されます。(Wikiによると「1949年全朝日新聞労組委員長となり、1950年レッドパージで解雇され裁判に訴え、勝訴・復職した。」とのこと)
こうした経歴だけ読むと凄い闘志、厳しい人という印象をもたれるかも知れません。その頃は実際にそうだったのかも。
しかし、私が教えを受けた頃の先生は、本当に優しく、温和な姿で学生たちに対してくれていました。
当時、先生は文化学院の他、高田馬場にあったジャナ専(ジャーナリスト専門学校)でも教鞭を取られていました。また、テレビ朝日の「やじうまジャーナル」でもその時話題の新聞記事をとりあげ、その解説をするコーナーに出演されていました。
記者クラブでの麻雀後、記者が揃いのバーバリーのコート
そんな梶谷先生が授業の時に話してくれたのが記者クラブでの出来事。
記者クラブでは麻雀卓を囲むことがよくあったそうです。各社の記者だけでなく、クラブ担当の政府の関係者も。
麻雀と言えば、当然、勝ち負けがあります。そうして、政府の担当者が入ったときの麻雀では、その政府の担当者がうまい具合に負けるのだそうです。
麻雀ですから、負けた人は現金ではなくても何らかの代償を支払うことになるのでしょう。
そうしたある日、海外取材へ向かう首相版の記者たちが空港に集まった時のこと、麻雀卓を囲んでいた記者たちがお揃いのバーバリーのコートを着てきたそうです。
(私の記憶では田中・ニクソンのハワイ会談の時の話しだったと思っていました。しかし、今、調べたら田中・ニクソンのハワイ会談は1972年8月。真夏にコートは流石にないかなとも思います?記憶違いかもしれません。当時のノートが出てきて詳細がわかればまた書きます。)
ちなみに、縁がないのでその価格も知りませんでしたが、バーバリーのコートってこんな値段なんだ。私ならパソコン買います。いま使っているのよりもいいパソコンがかえちゃいます。
記者クラブの問題点はずっと指摘されてきていますが、今もなお、改善されぬまま。
望月衣塑子さんが質問の機会すら与えられない問題も、その会見には防衛省のフリーランスや小規模メディアの記者が参加できない点も、この記者クラブ制度の弊害の一つでしょう。
そんなことを知った上で日々の報道を見つめていくことが必要。基本的な情報リテラシーとも言えるかと思います。
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