見出し画像

ひと冬だけの果実

「紅まどんな」の登場の仕方は、全くもって天才的でした。愛媛の高級柑橘のことです。

神社では、クリスマスの翌日から、アルバイトの男子学生が5人ほど加わり、助勤の巫女さん5人も加えて、本格的な初詣準備に入ります。大きな物を移動したり、テントを組んだり、一升瓶を8本持って走ったりと、主に力仕事中心です。

その頃、長野の職人さんから、ご実家のりんご農家が作っておられるりんごが箱で送られてきて、とびきり美味しかったので、なんとなく朝にりんごをむいて食べ、さわやかに1日をスタートさせるのがデフォルトになっていました。

ですので、恩師の先生からお歳暮のお返しにいただいた「紅まどんな」については、お客様が来た時にきちんと切って出そう、と思って、台所を出たところに箱のまま置いておいたのです。

ところが、ある日の午後4時ごろに、テントに紅白幕を張ったり、臨時の手水舎を設置したりという外仕事を終えて、身も心もくたくたになったロビン西さん(本職は漫画家で、年末年始だけ助っ人に来てくれています)が、ふと、りんご箱の下の「紅まどんな」を発見。手で豪快にむいて半玉食べたところ、まるでドラゴンボールの元気玉のように体も精神も復活したというではありませんか。

「これは一玉まるまる食べたら叱られるやつや」と思ったロビンさんは、私のところへ飛んできて報告。

「なんやて?」
と言いながら、半玉を受け取って食べた私は
「なんじゃこれは!」
と、その美味しさと食感に衝撃を受け、心身の復活目ざましく、これはとんでもないものを知ってしまったと思いました。

食べた瞬間にフレッシュな潤いで全身が満たされるのです。

冬の乾燥した空気の中で労働をしまくった人間にしかわからぬ、体の芯に新鮮な果汁が染み渡る感覚。

しかし、紅まどんなは数に限りがありました。高級フルーツの宿命で、箱にはたったの12玉がひとつひとつの部屋を与えられて入っていたのです。

相変わらず社務所の台所を出たところに箱に入れて置いていましたけれど、どういうわけか、紅まどんなのすごさにほかのみんなは気づいていない様子でした。

そこで、ロビンさんと私は、「必ず食べる前に相手に了解をとり、一回に半玉までとする」という暗黙の約束のもと、大事に大事にいただくことにしたのです。

✳︎✳︎✳︎

ある朝出社して社務所の冷蔵庫を開けると、大事にラップに包まれた紅まどんなの半玉が、真っ正面にいました。

「無言の半玉紅まどんな」は、そのまま「紅まどんなを摂取しなければならないほど疲れが限界に達していた」というメッセージでもあるので、私はロビンさんを責めることはしませんでした。

✳︎✳︎✳︎

12玉あった紅まどんなが3日に2個ずつくらいのペースで減ってゆき、お客さんに出したりもしましたが、お客さんとして出されるのと、自らが「発見」するのではその衝撃が違うのでしょうか、我々ほど大袈裟に美味しがる人はいませんでした。

そしてロビンさんと私だけが紅まどんなにこだわり続けた初詣時期を過ぎ、小正月を迎える頃には紅まどんながラスト3個になっていました。

関西では古いお札やお正月飾りをお焚き上げするとんど祭の朝。どういうわけか、私はなんの考えもなく紅まどんなをペロリと2玉、食べてしまいました。本当に無意識に。

魔がさす、ってこういうことを言うのでしょうか。

あの時私は、本当に、感覚だけの人間、昔ながらの動物としての人間になっていたのです。

私は早口で「ラス1をあげるよ。全部食べちゃっていいよ」と言って、最後の1玉をロビンさんにゆずったのでした。

✳︎✳︎✳︎

あれから2年が過ぎました。

紅まどんなを送って下さった恩師の先生は、1年前に亡くなられました。神職の、祭式作法の先生で、私が教わった当時は50代で、厳しくて怖くて有名でしたが、同郷だったこともあって、私はなぜか、なついていました。

いつも、「挨拶に行く」というと、「来なくていいよ。あなたはあなたのお社の仕事が忙しいんだから」とおっしゃっていたのに、紅まどんなのお礼の電話をした時だけは、「節分が過ぎたら顔を見せに来てよ」とおっしゃって、そのまま会えなくなってしまいました。だから、私にとって紅まどんなは、ひと冬だけの、幻の味です。

今年も、新しい福娘さんたちが、私の作った「えびす舞」を稽古しに、神社に集まってきました。えびす舞はまだ7年目だけれど、100年続けば伝統だ、、という意識で、毎年新しい人たちが受け継げるように、シンプルで、優しい舞にしました。

福娘さんたちに、桃虚本を渡したらとても喜んでくれて、「読書写真」をいろんなパターンで撮ってくれました。私は、その様子を見ながら、彼女たちに紅まどんなを食べさせてあげたいなあ〜と考えているのですが、誰にもそんなことはわからないですよね。人の頭の中って、不思議ですね。



いいなと思ったら応援しよう!