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28.ボーダー

信仰度 ★★★★★

【ボーダー:border】
1 へり。縁。端。
2 国境。また、境界。「ボーダーライン」
3 布などのへりに施された装飾や模様。
『デジタル大辞泉』より

動物愛護の法的基準

先日テレビで、飼い犬を蹴飛ばしている動画が拡散され、警察が出動する事態となったと報道されていました。

蹴られても蹴られても、飼い主に擦り寄る犬の姿がなんともいじらしげで、心痛む映像でありました。

日本には動物愛護法があり、その中に、

第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。

と、動物を傷つけたり、殺したりした場合の懲罰が規定されています。たとえ飼い主であれ、動物をみだりに傷つけることは罪に問われます。

以前、人の盲導犬を故意に傷つけた事件があり、これに対して器物損壊罪が適用された事例がありました。動物愛護法がありながら、なぜ器物損壊?という疑問が出ましたが、これについては、より罰則の重い器物損壊罪が適用されたということです。

動物を傷つけることが他人の「物」を壊すことよりも罰が軽いというのが現状の一端であります。同じ命でも人間と動物の間には重い軽いの差異が見られます。

動物と人間 その量的差異と質的差異

そうした事例を目にする度に思うことがあります。それは、動物と人間の境目はどのように存在するのかということです。もちろん人間もまた動物の一種です。ところが人間と動物の間には明確に隔たりがあると感じるのが、私たちの自然な感情です。

一口に境目といっても、そこには大きく二通りの考え方があります。

一つは猿-類人猿-人という系譜に見られる量的な連続体としての差異です。イメージとしてはなだらかなグラデーションであり、境目が曖昧です。これはつまり人間と動物の差異は量的であるということになります。

もう一つは人間と動物を隔てる確かな断絶を認める考え方で、この場合、人間と動物は質的に異なるということになります。

これを、感覚や刺激反応といった生理学や心理学の分野で見るならば、人間と動物の差異は量的なものだとする見方が強いです。

ところが、私たちは感覚的に、人間と動物とを明らかに区別して生きています。これだけ人権という考えが煮詰まった現代でも、動物の権利というものには無頓着なことが多いです。

犬をどんなに訓練しても高度な言語の獲得は現状みられません。これをもって人間と動物との間にある質的な差異を認めることもあるでしょう。

教義に見る人間と動物

さて、本題はここからですが、天理教人の立場からこの「人間と動物の境目」という問題に挑んでみようと思います。

何度かご紹介した通り、天理教には「元はじまりの話」という創世神話が伝えられています。明治10年代に教祖おやさまによって説かれた話です。

そこでは、以前「2.サイズ」の投稿でご紹介した三度に渡る生まれ変わり(と死)の話ののち、次の一節が続きます。

その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後にめざるが一匹だけ残った。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、、『天理教教典』29頁

当時の感覚だと、「虫」はいわゆる虫の他に、両生類や爬虫類も含まれます。
「鳥」は鳥類、「畜類」は高等な哺乳類ですね。

この順番も現在解明されている進化の過程とぴたりと重なります。(奇しくもこの「元はじまりの話」をおやさまが説かれた頃、ほぼ同時期に海の向こうで、ダーウィンが進化論を提唱し始めています。参考までに。)

このテクストを素直に読み解くならば、人間は人間として「動物」の姿形をしていた時代があったということです。

すなわち、現代私たちが見ている動物は「私たち人間のかつての姿」であるといえます。

実はこの「八千八度の生れ更り」、今日私たち人間の胎児の姿にその名残が確認できるという話がありますが、少し長くなるので、投稿を分けてまたの機会にしますね。

動物が存在する意味の教理的視座

神さまがなぜ、現代において、人間の他に動物を存在させているのか。理由は様々ありましょうが、一つは、私たち人間がどのような道を通ってきて今生きているのかを知らすためと言えましょう。

『天理教教典』にはこのような記述があります。

親神は、元初りに当り、親しく、道具、雛型(ひながた)に入り込み、十全の守護をもつて、この世人間を造り、恆(つね)にかわることなく、身の内一切を貸して、その自由を守護し、又、生活の資料として、立毛(りゅうけ)をはじめとし、万一切(よろづいっさい)を恵まれている。『天理教教典』38頁

立毛とは、農作物のこと。万一切とは人間の身の周りにあることもの全て、森羅万象です。もちろん動物もこれに含まれます。

ですから動物は、私たち人間が借りものの世界で暮らすための「生活の資料」の一つです。私たちは、彼らを通して、自らの往路を顧みることができます。

動物への愛着が多くの人間に自然に備わるのは、動物への固有の愛情が独立してあると考えるより、現在の姿形でなかった人間のありし日の姿をそこに見るからではないかと推測します。動物愛は、人間の尊重、先祖の尊重と地続きなのですね。

動物愛というものをどのように捉えるか、それには文化や習慣、宗教的背景が多分に影響しますが、一人の信仰者としては、この人間愛に基づいた動物愛を謳うところです。

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