「おっさんの匂い」がくれたもの
信仰度★★☆☆☆
臭撃
2月某日、私の使用済みタオルからほのかなる「おっさんの匂い」が検出されました。
観測史上初の出来事にはじめ戸惑いましたが、いよいよ来たかという静かな覚悟に落ち着きました。もう30歳手前ですし。おっさんと呼ばれても何らおかしくない頃合いです。
この世はかしもの・かりものの世界、そのタオルも、そこから生じる匂いもかりものですし、その匂いを知覚する”私の鼻”も間違いなく神さまよりのかりものです。かりものの世界は心の映し鏡である。そのような話は以前お伝えしました。
これは「お前、もうおっさん側な」という神の宣告なのでしょうか。ぐうの音も出ません。
一縷の救い
しかし考えますとここには一つの救いがあるのです。それは、私自身が「おっさんの匂い」を嗅ぎ分けられたということです。
どういう事でしょう。
一般論として、人間は自分の匂いに疎く、人の匂いにシビアです。おっさん自身はおっさんの匂いに鈍感です(でなければ生きていけません)「おっさんの匂い」をシビアに嗅ぎ取るのは例えばJKであり、例えばJCであります。すなわちおっさんから遠い存在が、生存戦略上おっさんを忌避するために、鋭くおっさんの匂いを嗅ぎ取るのです。
おっさんの匂いを発生させたのは紛れもない私ですが、私はきれいな女性に「あんた加齢臭する」といわれたわけでは(まだ)ないです。(それもまた良きではありますが)
私が私のタオルから「おっさんの匂い」を嗅ぎ取った。つまりこれは私自身の未おっさんな部分が知覚しているのです。私自身におっさんなる部分とおっさんならざる部分が同居しているのであります。
導き出せる答えは、「現在の私はおっさんに向かう移行期間にいる」
うむ、これでしょう。
移行期間という与え
移行期間、これは大切なのです。これがあることで、向こう側に行く前に心の準備をしたり、行ってからの事をあれこれ思案できるのであります。いきなり真夏や真冬が来たら困るのです。春や秋をはさむから生きていけるのです。
私の祖父は、うちの教会の5月の祭典日の翌日未明に出直し(死ぬことを天理教では「出直す」といいます)ました。祖父は「月次祭」という月一の祭典の祭主をつとめたあと、少し疲れが出て横になり、その晩突如容体が急変し、そのまま心疾患で息を引き取りました。あまりに予想外な最期でした。これは生と死の移行期間が短かった例ですね。
さて、近年の日本の死亡原因を見てみますと、がんで亡くなる方の割合が増えています。
現在、日本の死亡原因の第一位はがんで、およそ3割近くを占めています。そしてこれは、高齢化に伴い増加傾向にあります。
国立がん研究センターの統計を見ると、日本人の2015年のがん死亡数は、1985年の約2倍です。
このがんという病気は、多くの場合発症してすぐには死にませんね。進行するまで比較的長く普段の生活を維持できます。完治する場合もそうでない場合も、自分の人生や家族を見つめ直す期間が設けられているのです。
「病苦」という価値観からいえば、病気の時間が長いほど、苦しむ時間が増える=辛い、不幸とも考えられますが、反対に自分の体について、自分の人生や家族について、ゆっくりと思案ができる、そういう期間を与えられていると考えることもできます。
別にどちらが幸せかという話はしていません。
ただし、人間を「この世の極楽」「陽気ぐらし」に導きたいとの親心をお持ちの神さまが、ここにきてだんだんにそのような時間を人間に与えてきている、そういう人間を増やしてきている。このことから考えられることは色々にあると思います。
皆さんならどう考えるでしょうか?
私はまだおっさんになる心の準備が整っていません。この移行期間を大事に使っていきたいものですね。