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0.ノイズ
【ノイズ:noise】耳障りな音。騒音。雑音。特に、電話・ステレオ・テレビ・ラジオなどの電気的雑音。『デジタル大辞泉』より
初投稿です、初めまして。20代も残りわずか、オープンな場で発信することに挑戦していきます。
初めに自己紹介を少し。日本の真ん中ら辺にある天理教の教会に生まれました。20代前半までを天理教を信仰することへの葛藤に目一杯費やしました。今はこの教えを受け継ぎ、人に伝える生き方を選び、どーにかこーにか命つながってるアラサー男です。
私のnoteでは、天理教的ものの見方をベースに、感慨のひとまとまりや、読んだ誰かがちょっぴり幸せな気分になる投稿を発信していきます。皆さまの長〜い人生のちょっとした止まり木。そんなものになればと願います。
「つまらない日々でこそログを残しなさい。自分にとって何が大切で、何がどうでも良いことかは、今の自分には分からないから。今ノイズだと思っていることが、あとからかけがえのないものに思えたりもするよ。」
大学を卒業する時に恩師から授かった言葉です。以来、時に電子メールで、時に手書きの日記で、ちびりちびりと信仰生活のログを残してきました。
そのほとんどは見返しもしないし、見ても一暼して放ってしまうものでしょう。
しかし、もしこの先八方塞がって前に進めなくなった時、自分を救うのはかつてのノイズかもしれません。
天理教教祖おやさまは
「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように。」「すたりもの身につくで。いやしいのと違う。」(『稿本天理教教祖伝逸話篇』-「112 一に愛想」-)
と仰ったそうです。
これはつまらん、あれはくだらんと退けるより、身の周りにあるもの全ては、いつか自らを生かす与えなんだ、と捉える心を教えて下さっているものと思います。そう思って生きる方がきっと幸せだと私は思います。
というわけなので、平時のノイズ、有事のゴスペルとなりますよう、世界の誰かにピンポイントでヒットしますよう、願いを込めて投稿します。
しばらくは毎日投稿に挑戦します!(できるかなー?)どうぞよろしくお願いします!
3/3 追記
※私の記事には冒頭に「信仰度」を五段階で示しています。
これは記事の内容が、天理教の信仰にどれほど踏み込んでいるか、その濃淡の度合いを示したものです。
皆さまのご興味に合わせてご覧ください。