7.ガッショウ
信仰度★★★☆☆
【ガッショウ:合掌】 ① 仏を拝む時のしぐさ。両手のひらを顔や胸の前で合わせて拝む。インドの礼法で、仏教によって日本へ伝えられた。『大辞林』より
祈りの姿 「合掌」
我が家では昔からご飯は皆で集まって、揃って手を合わせ、いただきますと言います。号令は父の仕事、以前は祖父の仕事でした。
その昔「合掌」と言うべきところを「黙祷!」と言い間違えた祖父は、家族皆に笑われて、自分も照れ笑いを浮かべながらもどこか満足気でした。
合掌。その起源は古代インドに遡るとのことで、仏への帰依を表す礼拝の表現であるとされています。
洋を超えてそれはキリスト教にも見られます。あちらでは手を組む姿も一般的ですね。やはり神様への祈りを捧げる時に見られる姿。
厳密にどのような意味合いがあるのかは宗派によって様々でありますが、神仏に畏敬の念を抱き、その存在に自分を捧げる姿である点は共通していると言えるでしょう。
それはもちろん天理教でもそうです。神前で祈る時はこの合掌が基本の姿勢です。
合掌。それは左右両の手が一つになった姿。すなわち神仏と私、相対する存在である二つが一つになる姿と言えます。
もう少し信仰的に言い表わせば、己が力で生きていると思い込んでいたことへの反省と、神仏のおかげで生かされていることへの感謝を示し、そのうえで、自分という存在を神仏に捧げていく、あるいは溶け込ませていく、こうした帰依の姿です。
溶け込ませるというとやや比喩的ですが、神さまの御心をわが心として受け入れていく状態です。もともと心の違う神と人の二つを、自らの心の歩み寄りによって一つに近づけるということです。
そして「ご守護」や「利益」「奇跡」と言われるものは、そのような二つが一つになるところに現れます。
その最たる例が、人間の誕生です。子どもは父親と母親という相異なる二者から生まれます。
日常に見られる合掌
いただきます/ごちそうさま
これは、食べられる命と食べる私の命とが一つになる時の合図です。
ごめん!と手を合わせる。
お願い!と手を合わせる。
これはあなたと私、二人の関係の擦り合わせ。この言葉で許したり、受け入れたり、とにかく思いや立場の異なる2人が歩み寄って1つの合意をはかる姿です。
数字の世界では、2が1になるのは減少、マイナスです。
ところが合掌を通じて見渡す二が一になる世界には、何か次の進展が見出せます。
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